せすにっき

日記。2019年1月にはてなダイアリーから引っ越しました。2024年もそこそこ適当に生きたい。

火葬メモ

Wikipediaの英語版の「火葬(cremation)」を読んだらえらい時間がかかった上、何度読んでも読んだはじから忘れてしまって困るのでここに自分で訳したのを貼りつけとく。

  • 訳文中の注は訳者が付けたものです。元の文にある脚注はここでは割愛しています。
  • 目次中のリンク、および各セクション末尾の「目次へ」リンクは訳者が貼ったもので、訳文における移動先を表します。踏むと訳文の各セクションへ移動します。スマホ用表示画面向けの措置ですが、手元の環境でしか確認できていないため、表示やページ遷移において不便がありましたらすみません。(2013.5.27追加)
  • 目を覆うような日本語ですいません。何しろ自分で読み返して頭痛がしてきた。おかしなところがあったらご指摘いただけると非常に嬉しいです。
  • そのまま鵜呑みにするとえっらい目に遭うような誤訳がまったく無いと胸を張っては言えないのでできるだけ元記事を確認してください。 ⇒Cremation - Wikipedia
  • 「まったく無いと胸を張って」ではなく「まったく無い胸を張って」の間違いだろう、という突っ込みはおやめ下さい。

↓ではここから↓

火葬

火葬とは、炎と熱と気化作用によって、人間の遺骸を骨片という最小の構成要素へと変化させる処理のことである。一般的通念とは違い、火葬された遺骨は灰というよりもむしろ、砕骨装置によって処理された骨の砕片と表現するのが適当である。
火葬は葬儀における、あるいは葬儀の後の儀式で、遺体をその姿のまま棺に納め地中に埋める、いわゆる土葬の代わりに行われる。遺骨は周囲に健康被害を与える恐れが無いため、地中への埋葬や追悼施設への納骨はもちろん、血縁の者が手元に持っておくことも、また様々な方法で様々な場所に散骨することも可能である。

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目次

火葬

  1. 近代式火葬の過程
    1. 遺体用コンテナ
    2. 焼骨と集骨
  2. 遺骨の保管と処分の方法
  3. 火葬を選ぶ理由
  4. 環境への影響
  5. 火葬における宗教的見地
    1. インドの宗教
    2. キリスト教
      1. ローマカトリック
      2. プロテスタント
      3. 東方正教とその他火葬を禁じているキリスト教
      4. モルモン教
    3. イスラム
    4. ユダヤ教
    5. ゾロアスター教
    6. ネオペイガニズム
    7. その他火葬を認めている宗教
    8. その他火葬を禁じている宗教
  6. 歴史
    1. 古代
    2. 中世
    3. 近現代
  7. 火葬に関する近年の暗い出来事
    1. 第二次世界大戦
    2. トライステート火葬場事件
    3. インド洋津波
  8. 関連項目(注:訳者により省略)
  9. 参考文献(同上)
  10. 外部リンク(同上)

(この文章に関する注意書きはこちら

近代式火葬の過程

火葬は火葬場にて行われる。火葬場一軒につき一基もしくは複数基の火葬炉や火葬釜が備わっている。これらの焼骨設備は摂氏870〜980度(華氏1,600〜1,800度)の高温を発生させられるため、遺体を確実に処理できるのである。火葬場はチャペルや葬儀場の付属施設として作られていることもあるが、独自の施設及びサービスとして共同墓地などが提供していることもある。
現在使われている焼骨設備の燃料としては天然ガスやプロパンが挙げられるが、1960年代初期までは石炭やコークスも使用されていた。
現代の焼骨設備には調節可能な制御システムがついており、火葬の間、炉の監視を行っている。
火葬炉は一度に二体以上の火葬を行うようには作られていない。アメリカを含め多くの国でそれは違法なのである。だが死産児と母親、あるいは死産となった双子など極めて特異な事例については例外として認められることもある。
遺体が置かれるスペースは「釜(レトルト)」と呼ばれる。レトルト釜は熱に強い耐火レンガで覆われている。このレンガは徐々に温度劣化していくため、通常は5年ほどで交換時期を迎える。
現代の火葬炉はコンピューターにより制御され、法律に即した安全な運用がなされている。例えば、火葬炉の温度が運転温度に達するまで、炉の扉を開くことはできない。また、棺は熱が逃げないよう、天開きの扉*1から可能な限り迅速にレトルトへと送り込まれる。棺をチャージャー(動力つきの台車)に乗せ炉内へ速やかに送り込むか、あるいは傾斜する台に乗せて火葬炉に落とし込むといった仕組みもある。
炉内への遺体送入を身内に見せてくれる火葬場もある。中には昔ながらのヒンズー教ジャイナ教の葬儀など、宗教的理由から行われるケースも見受けられる。
ほとんどの火葬炉は標準サイズである。大都市ではたいてい、200キログラム(441ポンド)を超える重さの遺体を扱う大型火葬炉を利用することもできる。また大規模な火葬場には、胎児や幼児の火葬を行える小型の火葬炉を設置しているところも多い。

遺体用コンテナ

米国では、火葬の準備が整った遺体は専用のコンテナに収容しなくてはならない。このコンテナは段ボールでできた簡素な箱でも、木でできた棺でも構わない。ほとんどの棺桶製造業者が火葬専用に作られた棺を取り扱っている。また、伝統的な木の棺桶に似せて作られた外型にすっぽりと納まるボール紙製のコンテナを選ぶこともできる。葬儀の後、火葬前に内側の箱だけを取り出し、外側の箱は繰り返し使用するのである。また葬儀場によっては棺のレンタルも行っていて、伝統的な棺桶を葬儀の間のみ使用することが可能である。葬儀の後で遺体は火葬用の別の容器に移される。レンタルの棺桶には取り外し可能な中敷とカバーが使われることがあるが、これらは一度使用されるごとに取り替えられる。またいくつかの国では、動物の火葬を禁じているところがある。
英国では、上記のように遺体を棺からコンテナに移し替えることはない。遺体は棺ごと火葬されるため、英国用の火葬用棺桶はすべて可燃性の物質で作らなくてはならない。火葬実務基準によって、いったん火葬場に到着した棺を開けることは禁じられており、また遺体は葬儀と同日に火葬するよう定められている。よってイギリスでは、斎場において納棺された遺体はその棺に納められたまま火葬されるのである。このため、棺の蓋を閉じる前に宝飾品のたぐいを除去することが推奨されている。火葬完了後、遺骨は磁場を通され、金属片がそこで除去される。取り出された金属片は火葬場の敷地内に埋められ、その後で遺灰が遺族に引き渡される。
オーストラリアでは、葬儀業者の提供する棺に遺体を納め、火葬する。再利用型の棺やボール紙製の棺も、取り扱っている業者の間で評判が高まってきている。費用が問題となる時には“チッピー(chippie)”という商標名で知られる合板製の簡素な棺が候補に挙げられるだろう。持ち手は(付いていれば)プラスチック製で、火葬炉での使用も認められている。棺は天然素材の厚紙製や表面仕上げなしの合板(ビロードの覆いがかけられる場合もある)から、一枚板の木で出来たものまで様々だが、化粧合板で作られた製品が大半を占める。
火葬の諸業務のうち「受け渡しのみ*2」を利用することも可能である。火葬に先立って(前もって教会にて式を行っていたとしても)火葬場での礼拝は省略することもできるし、また別途火葬場の礼拝堂にて告別式を行ってもいいのである。「受け渡しのみ」の場合、火葬場側は遺体を一晩冷蔵にて保管するなどして、火葬炉の稼動スケジュールを最大限効率的に組むことができる。その結果、料金も安く抑えることができるのである。このようなサービスは業界用語で“西の礼拝式(west chapel service)”と呼ばれることがある。

焼骨と集骨

遺体を納めた箱はレトルト釜に収容され、摂氏750度から1,150度(華氏1,400から2,100度)にて焼却される。火葬の過程で遺体の大部分(特に内臓)や柔らかい体組織は熱によって気化や酸化を起こし、発生した気体は排気システムによって排出される。火葬が完全に終わるまでにはおよそ2時間を必要とする。
火葬後には、乾燥した骨の破片(リン酸カルシウムと微量のミネラル分から成る)が残る。色は通常薄いグレーを呈し、非常に大まかにみて遺体の元の重量の3.5パーセント(子供の場合2.5パーセント)の重さとなる。乾燥した骨片の重さは骨格部分の重量に密接につながってくるため、体重自体よりも身長や性別の影響が大きいとはいえ、その数字には人によって大きな開きがある。アメリカ・フロリダ州において算出された成人の遺骨の平均重量は5.3ポンド(約2.4キログラム)、2ポンドから8ポンド(900グラムから3.6キログラム)までの開きがあった。性別による二峰性の分布を示し、男性は4から8ポンド(1.8から3.6キログラム)、平均で6ポンド(2.7キログラム)となった。女性は2から6ポンド(900グラムから2.7キログラム)、平均で4ポンド(1.8キログラム)という結果となった。このサンプルでは、概して6ポンド(2.7キログラム)をこえる重さの遺骨は男性のもので、4ポンド(1.8キログラム)を下回るのは女性の遺骨であった。
腕時計や指輪のような装身具は通常取り除かれて遺族の元に返却される。必ず取り除かなくてはならない唯一の人工物としては、ペースメーカーが挙げられる。破裂して火葬炉を傷める恐れがあるという理由による。ペースメーカーの電池に含まれる水素も大気汚染を引き起こす深刻なリスクとなる。イギリス、あるいは他の国でもおそらく、葬儀業者は火葬場へ遺体を搬送する前にペースメーカーを除去し、その旨を明記した申告書に署名しなくてはならない。
焼却が完了すると骨片はレトルト釜から掃き出される。係員は“砕骨装置(cremulator*3/口語ではcrembolaとも)”と呼ばれる粉砕機を用い、遺骨を砂粒のような外見へと整える(使用される機器の性能により状態は様々であり、火葬後の最終的な遺留物の中には骨と視認できる物体が含まれていることもある。元の骨の状態や設備による)。通常、砕骨装置は回転式あるいは粉挽き式の仕組みを持ち、重い金属球が用いられていた旧式の装置と同様、骨を細かく砕くように作られている。ball millの項を参照。
日本、及び台湾の葬儀では、事前依頼がない限り遺骨には破砕処理をせず、家族によって拾骨が行われる。
これが、技術用語である“遺灰(cremains/cremated「火葬された」とremains「遺物」からなる造語)”が用いられる一方で、遺骨が“灰(ash)”と呼ばれる理由のひとつである。しかしながら、北米火葬協会では“cremains”という単語を人の遺骨に対して使うべきではないという見解を出している。愛する者の“cremated remains”というフレーズが人間的なつながりを感じさせるのに対し、“cremains”という用語は、故人との絆を想起させるような響きをなんらもたないのである*4
遺灰は容器に収められるが、簡素な厚紙製の箱から装飾を施された骨壷に至るまで、どのような容器でも利用可能である。また、火葬においては事後、炉の内部に微量の遺留物が残り、その後の火葬にどうしても混入してしまうことが避けられない。
遺留物には骨以外のものも含まれている。見逃していた宝飾品や棺桶についていた部品、歯の詰め物、人工股関節*5のような外科医療器具などが溶けてできた金属の塊が見つかることもある。チタン製の人工股関節や棺桶の蝶番などの大きなものは、砕骨装置を傷める恐れがあるため、通常は遺骨の破砕前に取り除かれる。それらは遺族に返還されることもあるが、鉄または非鉄金属として売却されるのが一般的である。砕骨後、詰め物や指輪などの小さな金属類(“落ち穂(gleanings)”とも呼ばれる)はふるいにかけられた後で、墓地の敷地内にある共用区域に別途埋められるか、あるいは貴金属スクラップとして売却される。

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*1:この単語がこれでいいのかようわからん。上面にハッチが付いてる火葬炉の画像ってまだ見たことないので。"top-opening door"

*2:原文:“delivery only”。配送のみ?

*3:こーゆーの http://www.combustionsolutions.co.uk/Products/DFWEuropeAshProcessor/tabid/87/Default.aspx

*4:ここんとこ、日本語の語彙と完全には一致してないので自分は英語な人とまったく同じ理解はできてないと思うけど、ニュアンスとしてはわかる気がする。業者さんが使う合成語だとなんとなく味気なくて身内の遺骨を指す名称としては抵抗があるってことかな。日本でもたぶん対象によっては「ご遺灰」とか、ちょっと呼び方変える

*5:hip replacement:こーゆーの http://www.zimmer.co.jp/artificial/hips/index.html

遺骨の保管と処分の方法

遺骨は四角形のプラスチック容器に入れられて近親者の元に戻されるが、紙箱やベルベットの袋、家族が既に購入していた骨壷に納められて渡される場合もある。火葬場の権限によって火葬が実行されたことを示す公的な証明書と、法律上必要な場合には、遺骨の処置についての許可証も添付されることになるが、許可証は遺骨とともに保管しておかなくてはならない。
遺骨は骨壷に納めても構わないが、山野や海に撒くこともでき、地面に埋めることも可能である。加えて、形式も場所もさまざまな各種の撒骨サービスが現れてきている。いくつか例を挙げると、ヘリウム風船や花火*1を用いるもの、ショットガンの弾丸に詰め射出するもの*2、飛行機からの散骨(ほとんどの管轄において違法とはされてない。たとえ法律で禁じたとしても実際取り締まるのが難しいからではあるが)などである。口紅ケース大の遺骨のサンプルを低地球軌道へと送り出すサービスもある。遺骨は何年もの間(永遠ではない)軌道上を周回し続け、やがて再び大気圏に突入することになる。別の会社では、遺骨の一部を人工ダイヤ製造装置でダイヤモンドへと生成するという。作り出されたダイヤモンドはカットと研磨が施された後に本物のダイヤモンドと同じように装身具に取り付けられ、家族のためのお守りとなる。遺骨を骨壷ごとコンクリートに封入して人工岩礁の一部に組み込んだり*3、塗料と混合して故人の肖像画を描いたりするサービス*4もある。アメリカの国立公園内では、特別な許可があれば遺骨の撒布をすることができるようになっているが、私有地であっても、土地の所有者の許可があれば撒骨は可能である。遺骨の一部を、専用のロケット、いわゆる“お守りペンダント(keepsake pendant)”に入れて保管することもある。遺骨は墓に納められることもある。多くの墓地では、家族が購入済みまたは既に納骨して使用している区画内であれば、追加の料金やチェックなしに遺骨の埋葬を行うことができる。
遺骸の処置については、故人の遺志ばかりでなく、彼らの文化や信仰も大きく影響してくるものである。家庭での撒骨や遺骨の保管を許している宗教もある。ローマカトリックのように、土葬もしくは埋葬を強く主張する教えも存在する。ヒンドゥー教では故人と最も近い血縁の男性(息子や孫など)が遺灰をインドの聖なるガンジス川へ、できれば聖都ハイデラバードで流すようにと定めている。シーク教徒やパンジャブ地方のヒンドゥー教徒の場合、遺骨はサトラジ川へ、大抵の場合Sri Harkiratpur*5から流すこととなる。日本と台湾では、火葬後残った遺骨は家族に渡され、納骨の儀式が埋葬前に営まれる(日本の葬式の項を参照)。

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*1:こーゆーの http://www.angels-flight.net/

*2:これがネットじゃなかなか見当たらない。「遺骨を拳銃の弾丸に詰め、キーホルダーやペンダントにする」っていう業者とか「猟師が友人にそのように遺言したという話を聞いたことがある」っていう噂話は見つかった

*3:こことか http://www.greatburialreef.com/ 「グレートバリアルリーフ」ってシャレかよ!と突っ込むのは不謹慎なのでしょうか。

*4:http://www.ashestoportraits.com/ (音付き)

*5:読みがどうしてもわからん。地名

火葬を選ぶ理由

宗教上の理由(後述)の他、個人的理由から、火葬を自分に合ったものとして選択する人々も存在する。旧来通りの葬儀というものに魅力を感じない人もいる。長い時間をかけてだんだんと遺骸が腐敗していくことに不快感を抱く人もいる。遺体の処理がすぐに終わるという理由から火葬を好む人も少なくない。
その他、葬儀を簡単に済ませるための手段として火葬を評する人もいる。これらの人々は、弔いの過程において、昔ながらの埋葬が無用で面倒なものであると考えており、一連の作業を出来る限り簡素に済ませるために火葬を選ぶのである。
火葬は価格面での訴求力も持っている。概していえば火葬は、旧来の葬式よりも安価で済む。特に、法の許す限り早く、葬礼のたぐいを行わずに遺体を直ちに焼却する場合にはなおさらである。しかしながら火葬にかかる料金については千差万別で、どれほどの葬儀を故人あるいは家族が依頼したかによって左右される。火葬は伝統的な葬礼の後に行われることもあるが、そのために費用は増えることになる。また、遺骨を納めるために使われる容器なども、費用面で影響を及ぼしてくる。
遺骨は、撒いても埋めても良い。火葬用墓地区画や納骨堂の壁龕*1はたいていの場合、従来の土葬スペースや霊廟の納棺所よりも割安で、そう広い場所も必要としない。ローマカトリックなどいくつかの宗教では、遺骨は地中に葬らなくてはならないものの、追加費用なしで家族の墓の区画内への埋葬が行われることも少なくない。

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環境への影響

火葬を環境面から評価する向きもある。土葬は環境汚染のもととして知られているが、わけても棺桶そのものが主な汚染源となっているのである。生前もしくは埋葬前に体内に入っていた放射性物質も問題ではあるが、この点においては火葬がより優れているというわけではないようだ。例えば汚染の原因として放射線療法が考えられるが、高エネルギー光子を必要とするもっとも一般的な放射線療法においても、放射能の蓄積が起こることはない。しかし、火葬は放射性物質を速やかに(大気中への飛散を始めとして)周囲の環境へ放散してしまうのである。放射能汚染に対しては、火葬はまったく歯止めの役目をなさないのである。
種々の環境問題のうちいま一つを挙げる。旧来の土葬には広大な土地が必要となる。遺体は様々な材料からなる棺に納められて埋められる。アメリカでは、埋葬前に棺をコンクリート製の外棺*1や覆いの中に入れることが多い。棺一つ一つはそう場所をとらなくても、こうして土葬が数を重ねるにつれ、徐々に土地の問題が深刻化していくのである。特に日本や欧州の大都市の墓苑では、永代使用のできる区画がなくなりつつあり、また既になくなっているところもある。東京では旧来の埋葬区画は極端に少なく料金も高い。ロンドンでは場所の不足から、ハリエット・ハーマン*2が古い墓所を再び開き「二階建て(“double-decker”)埋葬*3」を行うべきであると提言するほどの事態に陥っている。
しかしながら、火葬が環境に重大な影響を与えていることを示す調査結果も集まりつつある。
火葬場からの主要な排出物は、窒素酸化物、一酸化炭素、二酸化硫黄、超微粒子、水素、フッ酸*4、塩酸*5、非メタン炭化水素*6、その他重金属類、そして残留性有機汚染物質*7である。残留性有機汚染物質排出目録ガイドブックについての国連環境計画の報告によれば、地球上のダイオキシンおよびフランの総排出量のうち0.2パーセントを、火葬が占めているという。

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*1:原文:“vault” 前に訳したときにもこの造語を当てたけどほんとはなんて呼ぶのがいいんだろ

*2:なんか政治家の人みたい。労働党副党首とか

*3:英国なので二階建てバスにかけてるのかなあ

*4:hydrofluoric acid:フッ化水素

*5:hydrochloric acid

*6:NMVOC:Non-Methane Volatile Organic Compounds

*7:POP:Persistent Organic Pollutants

火葬における宗教的見地

インドの諸宗教

ヒンドゥー教ジャイナ教、仏教などのインドの宗教では、野外の火葬を定めている。これらの宗教は、身体というものを、霊魂を運ぶ道具であり容器であると規定している。例えば詩篇バガヴァッド・ギーター*1は、“古き衣を捨て新しきを纏うがごとく、死後たましいは新たなる体を得る”うたい上げる。霊魂は既に去ってしまったのであるから、死んでしまった体が聖なるものとみなされることはない。東洋の宗教において火葬が倫理にかなったものとされるゆえんである。シーク教では土葬も禁じられてはいないが、宗教よりもむしろ文化的な理由から火葬が好まれている。シーク教ヒンドゥー教と様々な文化的共通点を持つため、シーク教徒も火葬を好むのである。彼らもまたインダスのような聖なる河へと遺灰を流す習わしがある。
ヒンドゥー教の言い伝えによると、なきがらを埋める土葬ではなく、炎によって破壊する火葬を志向するのは、体を抜け出して間もない霊魂に肉体から分離したということを実感させるためであるという。そうすることによって霊魂を“あの世”(死者の最終目的地)までの道のりへと促すのである。この考え方により、聖人(その霊魂は一生にわたる苦行により既に肉体から“離脱”している)及び幼い子供(まだ長く生きていないため、霊魂がこの世と強く結びついてはいない)のみ、大地に埋葬されることになる。ヒンドゥーの聖人は、蓮華座の姿勢*2で地中に葬られる。他の宗教の土葬のように遺体を平らに寝かせたりはしない。ヒンドゥー教には命名の儀式、聖糸の儀式、学徒期の開始、結婚など、16の儀式*3(“16 sanskars”)が存在している。その最後にあたるのが火葬である。火葬の儀式はantim-samskaraと呼ばれるが、これは“最後の儀式”という意味である。火葬、いや“最後の儀式”では、“プジャ”(礼拝)が行われる。ヒンズー最古の経典の一つである聖典リグ・ヴェーダには、火葬にかかわりのあるRuchas(小詩)が数多く含まれている。その中ではアグニ神(火の神)が、死者の体を清めるということが述べられている。しかばねは“Parthiv”*4と呼ばれることもあり、よって火葬においては、Parthivが火の神に委ねられるのである。

キリスト教

主要記事:キリスト教世界における火葬
キリスト教国やキリスト教文化において、歴史的に火葬が推奨されることはなかったが、現在は様々な宗派において受け入れられている。

ローマカトリック

ローマカトリック教会が火葬に賛同しない理由としていくつかを挙げることができる。一つには、身体というものが、秘蹟を受けるための“器”であり、それ自体が神聖な、清らかなものであるということ。二つ目には、ひとりひとりの人間にとって不可欠な肉体を処分するのであれば、敬意と崇敬の念をもって行うべきであるということ。遺体の処置に関する古い慣習の中には異教に起源をもつものや、肉体に対し侮辱的なものが多いとされる。三つ目に、イエス・キリストの埋葬にならい、キリスト教徒のなきがらもやはり土葬に付されるべきであるという考え方がある。そして四つ目の理由は、火葬が肉体の復活を否定するものとされたためである。火葬はしかし、人の肉体を甦らせる神の力を妨げるものとして禁じられているわけではない。このことはミヌキウス・フェリックス*5の生きた時代、彼の「オクタウィウス」において既に反論がなされている。
実際には、火葬そのものが禁じられているわけではない。中世ヨーロッパでさえも、戦争もしくは悪疫や大飢饉の後のように一度に大量の死者が出る状況では、火葬が営まれていた。伝染病拡大の差し迫った危険を避けるためであるが、一人ずつ墓穴を掘って土葬を行っていると時間がかかりすぎ、全ての埋葬を終える前に遺体が傷み始めてしまうのである。だがしかし、火葬が公共の利益のために必要とされる状況でなければ、地中への土葬および埋葬のしきたりが依然として続いていた。
中世初期、また18世紀以降は特に、合理主義者や古典主義者たちが、肉体の復活や死後の世界といったものの存在を否定するために火葬に賛同を示し始めた。もっとも、この火葬支持運動は火葬に関する神学的事柄に取り組み反論することを活動の主眼としていたのであるが、しかし火葬に対するカトリック教会の態度は、火葬が公然と“神の敵”に結びついたことで硬化することとなった。火葬には規制がかけられたが、後に1960年代になって緩められた。カトリック教会は今でも公的には土葬や埋葬を支持しているが、肉体復活への信仰を否定する意思表明がない限り、現在では火葬は許容されている。
現行のカトリック典礼規則では、故人の遺族から要望があった場合、葬送ミサが終わるまで火葬を行わないよう定められている。
このため遺体は故人その人の象徴としてミサの間その場に安置され、祝福を受け、捧げられる祈りの言葉に語られるよすがとなる。肉体がそこにあれば、“教会がこれらの(葬儀の)儀式(ミサ)に認めている価値が、より明確に伝えられ”るのである。ミサそのものが終われば遺体は火葬され、火葬場や、土葬と同様に遺骨を埋葬できる墓地などで第二の式*6が行われるのである。
“教会では、葬儀の間、故人のなきがらがその場にあることが好ましいと考え、これを推奨していますが、…しかし時には、葬送ミサに遺体を安置しておけない場合もあります。異常な状況(強調あり)のため火葬が唯一の選択となってしまう時、司祭は思慮深く事にあたらなくてはなりません…”言い換えるとつまり、火葬というものは推奨されてはおらず、葬送ミサに遺骨が安置される例は非常に稀であり、本当にやむをえない場合にのみ教会式に先立っての火葬が許される、ということである。
1997年、バチカン典礼秘跡*7は“…ミサを含む葬儀典礼を催行する際、遺骨の安置を認める特別な許可*8を与えました。そのような葬儀のありかたはあまり好ましいものではないにせよ、アメリカ合衆国のラテン典礼教区では昔ほど珍しくはなくなってきています。許可を受けるためには満たさねばならないいくつかの条件があります。例えば、1)身体への尊敬、肉体の復活などのキリスト教の教えに反対するための火葬ではないこと。2)地域の“司教がミサの有無に関わらず、遺灰を安置しての葬礼が適切であるという判断を下していること。個々の場合において具体的状況を鑑みつつ、教会法や典礼規則を厳密に守らなくてはなりません。” つまりアメリカでは、教会式の前に火葬を行った場合、葬送ミサを受けられる保証はないと言える。また、この特別許可は他の儀式や教区、国については触れていない。
葬儀典礼において遺骨を安置する場合、遺骨は立派な壷に入れられて小卓の上に置かれる。棺が通常安置される空間に、立てておかれることもある。葬送祈祷や式の進め方はその状況に合わせて変更され、例えば普通の状況ならば目の前の遺体についてはっきりと言及している内容の祈りの文句などは、差し替える必要が出てくる。
葬儀典礼がどこで行われても、また行われなくとも、教会は遺灰を崇敬の念を持って処理しなくてはならないと明言している。遺灰は通常、(撒骨や遺族宅での保管ではなく)骨壷などの適切な容器に納めて埋葬するよう規定されている。
カトリックの墓地は今日では遺骨の受け入れも行っており、地下式墓堂を備えているところも多い。

プロテスタント

プロテスタント教会カトリック教会よりもかなり早く火葬の利用を受容していたが、火葬支持運動については教徒の間で意見が分かれていた。プロテスタント諸国における最初の火葬場は1870年代に建設されており、もっとも著名な英国教会の一つ、ウェストミンスター寺院の主席司祭と聖堂参事会*9は、遺灰を寺院の敷地内に埋葬するよう定めている。また散骨や“撒骨”はプロテスタントの諸宗派において受け入れられている慣行であり、遺骨を撒くことができるよう、固有の“追憶の園”を整備している教会もある。火葬を支持している教団は他にもあり、エホバの証人セブンスデー・アドベンチスト教団なども含まれる。

東方正教とその他火葬を禁じているキリスト教

一方で、いくつかの小規模なプロテスタントの教団など、火葬に異を唱えるキリスト教の宗派も存在する。最も顕著な例としては、東方正教会が火葬を禁じている。やむをえない状況下であったり、正当な理由が認められる場合(民間当局の要請、伝染病の恐れなど)には例外もありうるが、十分な理由もなく自らの意思で自身の火葬を選択した者は、教会で葬儀を行うことも許されず、追悼のための典礼祈祷を受けることが永久にできなくなる。正教において火葬は復活の教義を拒絶するものとされ、ゆえに厳しい目で見られるのである。

モルモン教

末日聖徒イエス・キリスト教会(LDS)*10の指導者たちによれば、火葬は推奨こそされないものの、禁じられてはいないという。また、教会では、かつて神殿の儀式*11を受けた故人の弔い装束について指導を行っている。これは火葬を希望する人々、および法律により火葬が義務付けられている国に住む人々に向けたものである。過去には使徒ブルース・R・マッコンキー氏が、火葬はLDSの教義に“並ではない、異常な状況においてのみ”合致する、と記している。

イスラム

火葬はイスラム教においては禁じられている。死後の人体の扱いについては所定の儀式が存在している。

ユダヤ教

旧来ユダヤ教は火葬に賛同していなかった(火葬は隣接する青銅器時代の文化における伝統的な遺体の処理法であった)。ユダヤ教はエジプトの慣習である防腐処理やミイラ加工による遺体保存にも反対していた。19世紀から20世紀初頭にかけて、ヨーロッパの多くの街においてユダヤ人墓地が過密状態となり場所が不足したため、火葬はリベラル派ユダヤ教徒の間で死体の処置法として認められていった。現在でも土葬の方がが好ましいとされてはいるが、改革派など目下のリベラル系運動は火葬に賛同の意を表している。
ユダヤ教正統派は火葬に対しより厳格な姿勢を保っており、ハラーハー(ユダヤ法)において禁じられているために火葬には不賛成である。彼らが肉体復活の思想を伝統的ユダヤ教の真髄として掲げているためで、サドカイ派などの古代の勢力が復活思想を否定していたのと対照的である。また、ユダヤ教保守派も火葬に反対している。
世俗派のユダヤ教徒の中には、ホロコーストへの反発から火葬を拒む者も存在する。ナチスによる大虐殺の犠牲者は、死のキャンプにおいて遺体を焼却処理されたのである。かつて死のキャンプがあった場所の多くでは今でも、浅い地層の下に遺灰の山が累々と眠っている。
イスラエルでは、近年になって初めて、B&L Cremation System社が最初の火葬炉製造業者としてイスラエルでの販売事業に乗り出した。しかし2007年8月、正統派的色彩の強い組織であるZAKA*12の在イスラエルメンバーが、所在の伏せられていた火葬場に放火して全焼させ、訴追されることとなった*13。ZAKAの広報担当者は事件との関連を否定したが、組織の発起人であるYehuda Meshi Zahav氏は、火葬場の存在が“死者への冒涜”であり、この火葬場は“焼失する定めであった”などと発言し、この焼き打ち行為を賞賛した。

ゾロアスター教

ゾロアスター教では旧来より、火葬も土葬も認められていない。これは火と大地の汚れを防ぐためである。遺体の処理は古くから“沈黙の塔”への鳥葬により行われているが、土葬や火葬がこれに取って代わりつつあり、火葬を選択する現代著名人の教徒も存在する。パーシー教徒であり、クイーンの歌手であったフレディ・マーキュリーはその死後、火葬に付されている。

ネオペイガニズム

近代のネオペイガニズム宗教において。アサトルは火葬に賛同しており、ケルトペイガニズムの諸形態においても同様である。

その他火葬を認めている宗教

アサトル、仏教、キリスト教アイルランド国教会ウェールズ国教会、カナダ連合教会、エホバの証人ルター派、メソジズム、モラビア教会、救世軍スコットランド聖教会)、キリスト教科学、ヒンドゥー教(聖人“Sanyasis”や去勢者、5歳未満の子供を除く全ての者が義務付けられている)、ジャイナ教神道シーク教、キリスト友会(クェーカー)、ユニタリアン ・ユニバーサリズムなどは全て、火葬を認めている。

その他火葬を禁じている宗教

バハイ教は火葬を禁じている。朱子学においては朱熹の教えのもと、親の遺体を火葬する人間は不孝者として激しく非難された。エジプト再建主義においては、火葬によってカー*14が死ぬとされるが、禁じられてはいない。古代において火葬は、処刑された罪人から来世を奪うために行われていたのである。

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*1:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%AC%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AE%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC

*2:in lotus position:http://www.portal-found.com/BuddhaStatues.html#anchor23097

*3:参考:http://www.religiousportal.com/16Sanskars.html

*4:http://www.birthvillage.com/meaning/Parthiv によると、「Prince of earth」を意味するらしい

*5:2〜3世紀頃の人。

*6:a second service:サービスって単語は訳すのがえらい難しいなあ。

*7:訳語参考:http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/vatican/curia.htm

*8:indult:字面的には「勅許」とか「教勅」と書いてみたくなるような、そんな「特別な」言葉らしい。

*9:the Dean and Chapter of Westminster Abbey: http://www.westminster-abbey.org/

*10:日本サイト:http://www.ldschurch.jp/ 米国サイト:http://www.lds.org/ 普通に「LDS」でぐぐったらなんか全然違うサイトがトップに来た…

*11:「エンダウメント」というらしい 参考:http://www.ldstemple.jp/

*12:ザカ。救援ボランティア団体

*13:参考:http://www.zion-jpn.or.jp/news/jy0824.htm

*14:神であり、人間を構成する要素のひとつ。≒たましい。

歴史

古代

火葬の歴史は少なくとも2万年前の考古学的記録、オーストラリアのマンゴ湖遺跡にて、部分的に火葬されたマンゴ・レディーの遺骨まで遡る*1
古来より、土葬(埋葬)や火葬、鳥葬など、遺体の処置を一つに定める葬礼が、入れ替わり立ち代わり、その時々の志向を反映しながら行われてきた。
中東及びヨーロッパでは、新石器時代に土葬及び火葬が行われていたことが考古学の記録により明らかになっている。民族はそれぞれ独自の志向と禁忌を持っていた。古代エジプト人は複雑な輪廻転生理論を形成、火葬を禁忌としたが、これは他のセム語族にも広く受け入れられていった。ヘロドトスによれば*2バビロニア人は遺体に防腐処理*3を施していたが、ゾロアスター時代にはこの習わしは禁じられるようになったという。フェニキア人は火葬と土葬、どちらも行っていた。紀元前3000年のキクラデス文化から、紀元前1200〜1100年のミケーネ時代*4にかけてのギリシャ人は土葬を行っていた。紀元前11世紀、火葬は埋葬式における新たな習慣として姿を現す*5が、これはおそらく小アジアの影響を受けたためと考えられる。この地域ではその頃から、土葬が再び唯一の習わしとなるキリスト教時代までは火葬と埋葬の両者が存続するが、概して火葬は軍葬と結びつきがあったとされている。
ヨーロッパでは、青銅器時代初期(紀元前2000年頃)のパンノニア平原、及びドナウ川中流沿岸において火葬の痕跡がみられる。ヨーロッパ青銅器時代、骨壷原文化*6を通してこの慣習は優勢なものとなった。鉄器時代には再び土葬が一般的なものになるが、ヴィラノヴァ文化*7やその他地域においては火葬が残存していた。ホメロスは、パトロクルスの葬儀について、骨壷原での葬儀と同様、なきがらは火葬の後に塚に葬られた、と書いている*8。これが火葬についての最も古い描写である。ミケーネ時代にはもっぱら土葬が行われていたのであるから、これは時代錯誤といえる。ホメロスはそれから数世紀も後の、「イリヤード」が書かれた時期の、火葬の普及が進んだ状況を反映していると考えられる。
宗教間、文化間の争いにおいては、葬礼への批判という形を取った中傷がしばしばみられる。その一つが、火葬を生贄や人柱に関連付ける行為である。
ヒンドゥー教ジャイナ教においては、火葬を行うことが許されているだけでなく、予め指示されているともいえる。インドでは、ヴェーダ文明の前段階とされる墓地H文化*9(紀元前1900年頃から)において、火葬の存在が裏付けられている。リグ・ヴェーダには新たな習わしについての言及がなされており、第10章第15節第14句には“火葬 (agnidagdha'-)”にされた、または“火葬にはされなかった(a'nagnidagdha-)”先祖たちがどちらも登場している。
古代ギリシャ及び古代ローマ、いずれにおいても火葬は依然としてよく知られた習わしであったが、普遍的に行われていたわけではない。キケロによると、ローマでは土葬をより古風なものと考えており、栄誉ある市民のほとんど―特に上層階級および皇帝の一族は、火葬に付されたという。
キリスト教は火葬に対し嫌悪をあらわにした。これはユダヤ教の教義の影響及び、ギリシャ・ローマの異教の習わしを廃する意図によるものである。5世紀までにヨーロッパにおける火葬の習慣は事実上消滅した。
ローマン・ブリテン*10では、かつては普通に行われていた火葬が4世紀までに姿を消していた。その後火葬は5-6世紀、移住の時代*11を迎えて再び登場する。当時の火葬においては、薪の上に置かれた遺体に生贄となる動物たちが添えられる事があり、また故人は衣装を着せられ装飾品とともに荼毘に付される習わしであった。この習慣は同時期、アングロ・サクソン系移民の出身地とされる大陸北部に暮らしたゲルマン系の人々にも広く浸透していた。遺灰は後に粘土製もしくはブロンズ製の甕に入れられ、“骨壷墓地”*12に預けられた。この習慣は7世紀、アングロ・サクソン人もしくは初期イングランド人のキリスト教化に伴いまたもや姿を消し、代わって土葬が一般的なものとなった。

中世

火葬はヨーロッパ全域で法により禁じられた上、異教の儀式として行った場合には死罪にさえ相当するとされた。火葬は時に異端者への処罰の手段として利用されたが、行われたのははりつけにしての火刑だけではなかった。例えば、ジョン・ウィクリフの遺体は死後何年も経ってから掘り起こされ焼却された後、遺灰が川に投じられた。彼がローマカトリックの唱える化体説を否定した事に対する死後の罰であることは明白であろう。しかしその一方で、やむをえない事情から大規模な火葬が頻繁に行われていた。戦闘の後や悪疫、飢饉など、伝染病が蔓延する恐れがあった場合である。報復措置としての火葬は現代まで続いている。例えば第二次世界大戦終戦後、ニュルンベルク裁判において人道に対する罪に問われた12名の遺体は、家族の元へは返されることなく、焼却されたのちに非公開の場所で処分された。これはその場所を追悼の地には断じてさせまいという意向に基づいた、とある法的手続きの一環として行われたものである*13。しかし日本では、大勢の戦犯のための―彼らもまた火葬されているのであるが、その遺骸を収容するための―追悼施設が建設を許されている*14

近現代

1873年、パデュア大学のブルネッティ教授がウィーン万博に火葬炉を出品。英国ではヴィクトリア女王の侍医であるサー・ヘンリー・トンプソンが運動を支え、1874年、仲間とともに英国火葬協会を設立した。ヨーロッパで最初の火葬場が1878年、イギリスのウォキングとドイツのゴータ*15に建設され、また北アメリカではフランシス・ジュリアス・ルモワール博士*16ペンシルヴァニア州ワシントンに1876年に作ったのが最初である。アメリカで二番目の火葬場は1877年7月31日、チャールズ・F・ウィンスローによってユタ州ソルトレイクシティに建設された。また、英国で初めての火葬はウォキングにて、1886年3月26日に行われた。
イングランド及びウェールズで火葬が合法であると宣言されたのは、ウィリアム・プライス博士が息子を荼毘に付したことで起訴された時のことであった。それに続いて1902年に火葬法案が通過し正式な立法が行われた(この法令の効力はアイルランドには及んでいなかった)。火葬法は火葬を行う前に必要な法的手続きを定め、認可を受けた場所のみで行うよう制限を設けた。様々なプロテスタント教会のうちいくつかは“神はボウル一杯の塵と同じように、ボウル一杯の遺灰をも難なく人間として甦らせることができる”という理論づけにより、火葬を受け入れた。1908年版カトリック事典はこれらの努力に対し批判的で、フリーメーソンと関連付け“悪質な運動”として言及している。がしかし一方では“火葬の執行において、教会の教義に直接反する事柄は何もない”と述べてもいる。1963年、教皇パウロ6世は火葬の禁止を撤廃し、1966年にはカトリックの神父が火葬式を執り行う許可を下した。
オーストラリアでも近代式火葬の普及運動、及び団体を創始しようという活動が起こった。オーストラリアで最初の専用火葬場及びチャペルが、1901年、南都アデレードのウェストテラス墓地に開設された。この小さな建物はウォキングの火葬場を模したもので、19世紀の様式から大きな変更も加えられなかったのだが、それでも1950年代後半までずっと稼動していた。オーストラリアにおいて現在稼動している中で最古の火葬場は、シドニーのロックウッド墓地にあり、1925年に稼動を開始している。
オランダでは1874年、火葬の自由を求める会の設立が先駆けとなり、火葬の長所と欠点に関する長時間の討論が行われることとなった。1915年には火葬を禁じる法律に異議申し立てが行われ、失効が決定した(オランダで最初の火葬場が建設されて2年後)が、火葬が法的に認知されたのは1955年のことであった。

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*1:実は4万年前のもの、ということで研究者の見解は大体一致しているみたいだ。同じマンゴ湖で発見された男性の骨と同時代。参考:http://uninews.unimelb.edu.au/view.php?articleID=394

*2:紀元前400年代の、ギリシャのえらい歴史家の人らしいよ。参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%AD%E3%83%89%E3%83%88%E3%82%B9

*3:自分の中でエンバーミングという単語がまだ目新しすぎて、どうも昔の慣習についてこのカタカナ言葉を使う気になれないんだよな。カタカナってだけで、この概念自体が新しいものだと読んでいて自分も勘違いしそうで

*4:原文:“Hypo-Mycenaean era” Hypoってどう訳するのかわからん

*5:最初は「?」と思ったけど、火葬した後遺骨を「埋める」んだから確かに埋葬だよね。土葬と埋葬がどうも自分の頭の中でごっちゃになってる

*6:http://en.wikipedia.org/wiki/Urnfield_culture

*7:なんか、鉄器時代初期にイタリアで栄えた文化らしい。参考:http://www.britannica.com/EBchecked/topic/629128/Villanovan-culture

*8:参考:http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/iliad-battle05.htm あとこれも http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%A1%E3%83%AD%E3%82%B9%E5%95%8F%E9%A1%8C

*9:HはハラッパーのHらしい。参考:http://pubweb.cc.u-tokai.ac.jp/indus/3_1_02.html

*10:イギリスのうち、ローマ軍が支配していた地域らしいよ!by 英辞郎on the Web

*11:アングロ・サクソン人がやってきた七王国時代のことかなあ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E7%8E%8B%E5%9B%BD

*12:urn cemetery

*13:ここ自信なし。元フレーズ:as a specific part of a legal process intended to deny their use as a location for any sort of memorial

*14:このあたり不勉強なので調べてたらこんなの出てきた http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a154065.htm

*15:ドイツの、というかこの頃はザクセン=コーブルク=ゴータ公国っていう公国の首都だったそうな

*16:Francis Julius LeMoyne 参考:http://en.wikipedia.org/wiki/Francis_Julius_LeMoyne

火葬に関する近年の暗い出来事

第二次世界大戦

大量殺戮という残虐行為に加え、ユダヤ人のなきがらは正統派ユダヤ教の教義に泥を塗るようなやり方で処理された。ユダヤの掟ハラーハーは火葬を禁じており、その上、火葬はその人の魂に苦痛を与えるとしているのである。というのも、落命したばかりの人間の魂は自らの死をあまり自覚しておらず、彼らの肉体が焼かれていくのを目の当たりにすることになるからである(非常時以外の解剖が禁止されているのも部分的にはこれと同じ理由による)。普通の埋葬であれば、体が腐敗していくにつれ、魂も次第に“遠くへ”離れていくのである。この時から、火葬は多くのユダヤ人にとって極めて否定的な意味合いを持つこととなった。

トライステート火葬場事件

最近物議を醸したトライステート火葬場事件は、火葬業務の不履行によるものだった。2002年初頭、アメリカ・ジョージア州のトライステート火葬場で過去数年の間に火葬されたと思われていた334もの遺体が、火葬場の敷地内で傷みの進んだ状態で発見された。火葬場の経営者によってその場所に捨てられていたのだ。遺骸の多くは判別が難しくなっていた。多くの場合“遺灰”として家族に返されていたのは人間の遺骨ではなく、木やコンクリートの粉末から作られたものであった。
レイ・ブラント・マーシュ―遺体発見当時の管理者―は787もの罪状で起訴された。2004年11月19日、マーシュ被告はすべての容疑を認めた。被告はジョージア州テネシー州の両方から懲役12年の判決を2件下され、今も服役中である。その後被告は75年間の保護観察期間に入る予定である。
トライステート火葬場へ遺体を送った葬儀場ならびにマーシュ家に対する民事訴訟も起こされ、これらの裁判も最終的には決着をみている。マーシュ家の資産は売却されたが、総額8000万ドルに上る判決総額の回収はおぼつかない状態だ。家族はトライステート火葬場跡を自然に溢れる、公園のような状態に戻したいと表明している。

インド洋津波

マグニチュード9.0〜9.3が観測されたインド洋大地震は2004年12月26日、猛烈な津波を立て続けに引き起こした。死者はおよそ30万人を数え、有史以来最大の犠牲者を出す津波となった。この津波により、インドネシア、タイ、マレーシア北西沿岸などの震源地近辺から数千キロ離れたバングラデシュ、インド、スリランカモルディヴ、さらにはソマリアケニアタンザニアなど東アフリカ諸国でも犠牲者を出している。
当局による夥しい数の遺体の処理は難航を極め、結果として何千もの遺体が合同で火葬されることになった。地域の当局は、腐敗の進む遺体が病気の媒介になるという誤った認識を持っていた*1。これらの遺体の多くは火葬に先立って身元の確認や親類縁者との対面がなされないままであった。また、西洋人の遺体は、大半が地元民であるアジア系の人々の遺体とは別に安置されていた、という反発の声もある。つまり日本や韓国など他のアジア諸国からの旅行者の遺体は、国に戻って葬式を行うより、現地で荼毘に付されるというケースが多かったのである。

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*1:ここ“citation needed”(要出典)って書いてある。WHOの米州事務局がそういう発言を行っているみたいだ。一応日本の全国紙でもそのように報道された(参考:http://infinite.iza.ne.jp/blog/entry/587049/)みたいだ。ただし遺体から感染する可能性もゼロではないけど遺体以外の要因の方が感染源としてよっぽど怖いんだよ、っていう話であって、当時の政府広報や記事などとあわせて読むと、“believed,incorrectly”とまで言い切ってしまうのはちと不適切のような気がする。