せすにっき

日記。2019年1月にはてなダイアリーから引っ越しました。2024年もそこそこ適当に生きたい。

泣く子はいねえが

俺は昔すぐ泣く子供だった。ほんとに小さかったころは主に得体の知れない何かを怖がって泣いたようだ。地震とかにわか雷雨とか。物心が割とついてくると今度は親に叱られて泣くことのほうが多くなった。叱る親が怖くて泣くのではなく、自分なりに理由があってやったことを叱られ、説明をしたら言い訳をするなと聞く耳を持ってもらえず、悲しくて泣くことが多かった。いや、悲しいというよりも腹立たしいという思いだったような気もする。関係ないけど声を上げてわんわん泣いているとそのうちひっくひっくと、しゃくりあげ、というんですかね、あれが勝手に喉の奥から沸いてきて本当に息が苦しい。
幼稚園に通いだす頃、今度はなにかちょっとしたことでベソをかいた途端に親に「泣くな」と怒られて逆に火がついたように泣き出すという二段泣きのパターンに陥るようになった。俺にとっては泣くということが、笑ったり怒ったりと同じ自然な感情の発露なのだと(たぶん)思っていたのに、なぜかいつの日からか突然、泣くことだけは許されなくなった。それがなんだか納得いかなくてさらに泣いた。親もこれにはうんざりしたようだが、泣くたびにきっちりきっちりと俺を叱り続けた。
それでもって俺はひねくれて、泣く俺を叱る親が嫌いだった。心ゆくまで泣かせろ、と思っていた。しゃっくりしゃっくりはとても苦しいけれど、泣いたあとはなんだかつきものが落ちたようにすっきりして怒りも悲しさも収まる、ということを経験的に知っていたので、それを邪魔する親の小言がうっとうしかった。
しかしある日ちょっと考えが変わった。幼稚園の朝の会での出来事だった。おはようございますの挨拶のあと、俺は隣の悪ガキの椅子をふざけて後ろに引き、彼をスッテンと転ばせた。日ごろちょっかいを出されていることへの仕返しと、自分なりの悪ふざけのつもりだったが、滑稽に転がったガキ大将を見ても誰も笑わなかった。場が凍った。
やっちゃいけないことをした、と自分で気がついた次の瞬間俺の口から「ごめんなさい」というコトバが出た。「ごめんなさい、ごめんなさい」コトバは止まらなかった。そして涙がどっと出てきた。
先生は俺を叱らなかった。それどころか何事もなかったようにオルガンでいつもの朝の歌の伴奏を始めた。きっと幼稚園でも泣き虫の俺が勝手にイタズラをして勝手に自分で反省の言葉を口にして勝手に泣き出したことに呆れていたのだと思う。周りの子も何もなかったように歌っていた。俺が転ばせた子もみんなと一緒に歌っていた。もはやその場で凍っているのは俺だけだった。こんなつもりじゃなかったんだ、だから謝る、謝っているのに誰も聞いてくれない。歌の間じゅう、俺は一人で泣き続けた。誰も叱ってくれない、誰も泣く自分を止めてくれないということがこんなに悲しいことだとは思わなかった。俺はにぎやかな歌声のなかでひとり取り残された。涙を流した後の方が悲しいなんて初めてだった。「泣くな」と叱られるほうがまだはるかにましだと思った。
自分の感情にまかせて泣いてばかりいたら、誰からも相手にされなくなる。
泣く俺をガンガン叱った親は、そのことを教えようとしたのだろうか。いや、ただ単に人前で弱音を吐かない人間になってほしかったということかもしれない。だとしたら成長したわが子のこのヨワヨワぐだぐだな日記をマイマザーが見たら俺は張り倒されるような気がする。