せすにっき

日記。2019年1月にはてなダイアリーから引っ越しました。2024年もそこそこ適当に生きたい。

ひそかに読んだ

そのうち捕捉されるんじゃないかと思うんだけどもこそりとUP。

文明開化の写真師―片岡如松物語

文明開化の写真師―片岡如松物語

幕末の激風に身をさらし、のちの文明開化の息吹をうけて刀を写真機に持ちかえた、栃木の写真師片岡如松と、その息子武の生涯を描いた物語。
ちなみに歴史の授業が苦手で、特に幕末以降はなにがなんだかまったく頭に入っていない自分は、たとえば上野公園で銅像になっている西郷どんが結局どんなことをしたのか、とか、廃藩置県がどうとか、自由民権運動っていったい何なのか、とか、そういうこと全般がまーったくわからない。歴史上の事件というのは本当に実際に起きたことなんだ、という実感を、教科書を読んでいても全然抱くことができなかったので、興味をもてなかった。なんというか、大きな時代の流れの中で起きた事柄の意味、影響を自分の頭で解釈し、その重さを理解する、という知的作業がそもそもできないアレな脳みそなのだなと自分で自覚しているので、この歴史嫌いはどうにも治りそうもないのだ。
しかしながら今回、この本に描かれている時代の背骨にある大きな流れというのを、なんとなく身近にとらえることができた。日光山をまもるために命を懸けた武士がやがてその地位を失いながらも、新しい時代にしっかりと食らいつくように、「写真術」を取得していく。やがて努力が実を結び、栃木町に写真館をかまえ、この町を吹きぬける時の流れをも、写真に収めていくのだ。
説明的な文章が続いたり、かと思うとホームドラマかと思うような会話が交わされる場面があったり、これはどこからどこまでが創作なんだろう、と思わされるやけにドラマチックなエピソードがあったり、そんな文章の硬軟が入り混じるところが、ハワイの大王を描いた以前の著作にも共通する特徴だと思う。会話の調子が現代風なのか、昔の口語を取り入れているのか、妙なテンポがあって、普通に歴史小説を読んでいてのめりこむのとはまた違う、不思議な親近感が(笑)。これは人によっては好き嫌いがわかれるところだろうなあ。きっちりした歴史人物伝だと思って読むと違和感があるんだけれども、自分にはこの、入り混じり具合が割と心地よいような気がする。
つうか、人の一生って、写真のフィルムみたいなもんなのかなあ。何も写っていないまっさらな状態で生まれ出てきて、やがて長い長い撮影会が終わると、そこにはくっきりとその人が過ごした時代が浮かび上がっている。