せすにっき

日記。2019年1月にはてなダイアリーから引っ越しました。2024年もそこそこ適当に生きたい。

ひとごこちついた

さっきママンから電話があったけど疲れすぎてて真剣に聞けなかったごめん。あとでメールしよ。
なんか世の中の人たちが互いに罵り合ってる(といってもそんなんリアルではさすがにほとんど見かけないからネット上の罵り合いだね)のを見ると、みんな自分の選択こそが正しい、自分のとった行動は間違っていないと信じたいんだな、と肌身に沁みておもう。別にその人たちが間違ってるって言いたいわけじゃないよ。正しいとも言わんけど。というか意見が対立しているその話題の中身自体にたいした興味もない。
そういう場を覗き見していてよく思い出すのが『悪童日記』って本のラストなんだ。あれは三部作なんだけど、その一作目のラスト。あれだけずっと一緒にいた主人公のふたりが、最後にたもとを分かつんだ。あれはなんのためだったのか。作者の思惑がどんなものであるかとは関係なく、俺はあのラストを読むことができただけで満足だった。というか個人的には俺はむしろ続編と続々編は読まずに一生を終えていればよかったなとおもう。
要するに、人間っていうのは生まれてから死ぬまで、あの二人の別れのような場面を何度も何度も何度も体験しているんだよな。それはその人にとってはあくまでも「もし自分があの時〜していたら」という個人的な思い出として感じられるものであるんだろうけれど、その「もしあの時」が無限に積み重なって出来上がった「存在していたかもしれないもうひとりの自分」が実際目の前に現れたときに、その人はもうひとりの自分を、自分とは違うからという理由で罵倒していいんだろうか。
いや、いいわるいを考えるのは無意味だな。なんだってやりたきゃやればいいか。それがその人の選択なんだな。