せすにっき

日記。2019年1月にはてなダイアリーから引っ越しました。2024年もそこそこ適当に生きたい。

散歩日記

近隣の町へ出かけた。所用を済ませるために駅からはバスで行き、帰りは暇になったのでのんびりと歩いて駅へ戻った。初めて通る商店街は沿線のほかの町と同じように、まだらに古ぼけていた。
最近できた建物はテラコッタのような色のタイル貼りになっていて2階から上の集合住宅のベランダはやや広く、手すり部分は建物と一体化したタイル貼りの壁状になっていて中がまったく見えないのですぐに判る。
いっぽう隣の建物を見ると、一見して古いものだとこちらもすぐに判る。淡い空色のペンキの剥げかかった外壁、正面にかかった看板には中華食堂の店名が書かれ、その上を見ると居宅の小さな窓があり雨戸を収納する戸袋が備わっているが長年の風雨にさらされてすっかり色あせ、窓の外側に取り付けられているアルミの手すりは少しよりかかればすぐに外れてしまいそうで、いったい何のために付いているのかと心配になる。隣の小奇麗なクリーニング屋のビルとはえらい違いである。昔は本当に田舎だった土地で、戦後の一時期急に人口が増えて形成されたこの商店群だが、今この時代になって店主たちはぼちぼちと代替わりしたり、店をたたんだり、土地ごと売り払ったりしている。なんとなく新陳代謝という言葉を連想させる。地方では商店街の危機が叫ばれシャッターが下りたままの店が並ぶ光景が見られるというが幸いにしてこの街では商売が成り立つだけの人の流れと需要はあるらしい。これからも月日が流れるにつれこうやって新しい建物が昔ながらのそれと入れ替わっていくのだろう。
ラーメン屋の扉の横の壁には曇りガラスのショーウィンドーがはめ込まれていた。曇りガラスというか、多分昔は曇っていない普通のガラスだったのだろうが、時が経ちすぎて、もしくは店主の掃除が行き届かず、タンメンやチャーハンなどの料理のサンプルと価格を通りがかった客に見てもらうためのウィンドーがすっかり白っぽく曇ってしまっているのだ。
値札は読めない。かろうじてどんなものが中にあるのかが判別できる程度のガラスを覗き込むと、その片隅にはなぜかたけし招き猫があった。たけし招き猫というのは確か昔ビートたけしのテレビ番組がらみで作られ、あちらこちら、例えば原宿などで売られたものだったと思う。それがこの中華食堂の、ショーウィンドーに飾られているのだった。いや、飾ってあるというよりも、そこに置いて、そのまま忘れてしまったというような印象である。通りすがった僕が、あれはなんだろう、食べ物じゃないよな、と足を止めてじっくり観察して初めてそれとわかったのだ。
ああ、なんだか昭和も遠くなりましたね、と思った。しかし、たけし招き猫。僕は、いや僕ら日本人はたいてい招き猫という物を知っているし、多くの人はビートたけしという人も知っているだろうから、この置き物(貯金箱としても用をなす)の存在する意味、顔が人間で体が猫、しかも座って肢を一本挙げている不思議な生き物の由来が、テレビ番組どうこうといういきさつは知らなくてもなんとなく想像できるかもしれない。だがこの招き猫がもし、人類滅亡後の地球を訪れた異星人によって発見されたとしたら彼らはどう考えるだろう。地球にはこんな生物が住んでいたのだと勘違いしないであろうか。面白いので是非勘違いして欲しいと思う。