せすにっき

日記。2019年1月にはてなダイアリーから引っ越しました。2024年もそこそこ適当に生きたい。

もうすぐ読み終える

これからの季節、外読みするときにはちゃんと上着を用意していこう。面白いところにさしかかって没頭しはじめた途端に日がかげって鳥肌が立ち、指先が冷えてきたのに読むのを止められなかった。風邪引きかけ。

古代史おさらい帖―考古学・古代学課題ノート

古代史おさらい帖―考古学・古代学課題ノート

アマゾンの商品画像では見られないのだが(っていうかまだはてなでは画像自体が表示されないや→された)、帯としおり紐の色がすんげえ良い。特に紐。昔マイマザーにかぎ針で編んでもらったカーディガンを思い出した。母は萌黄色だと言っていた覚えがあるが、それよりも少しはかなげ、かつ明るい色合いだったと思う。
著者が編者となっている図説本をちょっと前に買った。20年近く前に出た本だけど、古代史についてはそれを論ずる近年の出版物を文章で追うばかりの自分には、ゴホウラ貝の腕輪や鏡などの副葬物、それに古墳や遺跡の写真がバンバン載っている図説本は新鮮だった。そしてそこにある文章も、写真に決して劣らず魅力的なものだったのだ。というわけでその先生の最新刊です。飛びつきましたです。はい。つうか本文中著者は自分のことを「ぼく」と呼んでいて、80歳にならんとする考古学のえらい人というイメージとなんか直結しなくて不思議な気分だ。
出土した鏡に記された年号は即、その鏡が作られた年号といえるのか?その年号が使われていた国で作られたと断定できるのか?という疑問に添えて著者が記すくだりが面白かった。

ぼくの若いころ、日本にあるたいていの中華食堂でラーメンを注文すると、龍の文様で飾った鉢がでてきた。それらの鉢の底部には、「乾隆年製」とか「大清乾隆年製」の句がついているのが普通だった。このことはたかがラーメンの鉢として軽視はできない。ではこれらの鉢は、清の乾隆年間(一七三六―九五)に、しかも中国で作られたものであろうか。どう見てもそれらの鉢は安物で、乾隆年製ではない。

もちろんこの事例をもって逆に古代の鏡に記された年号をすべて偽りであるというわけでは決してないのだが、著者は他にもこうした事例を眼にし、また実際に陶工から寄せられた声を聞き「銅鏡の年号に接する場合の心がまえができた」と述べている。