へんな夢みた。
実家の近所の商店街にある酒場で夕方早くから酒を飲んでいる。卓上にあるのはウォッカとにしんの酢漬けだ。夢の中に出てくる商店街はいつも古くて、一角に迷路のように入り組んだ路地があり、その奥にかつてスーパーだった建物がうっそうとした木立に包まれるようにして建っている。
帰宅すると健康診断の受診時間になっていた。酔ったまま行って列に並ぶと看護婦さんがのど飴をくれた。そして、まだ皮膚科の治療が終わっていないから、視力検査はまた後日改めてということにしましょうね、と俺に告げる。視力検査なのになぜ。
説明を聞いていたら空襲警報のサイレンが鳴った。近くのシェルターに避難しようとドアを開けたら中が汚れていたので掃除をはじめたところで目が覚めた。
晩飯
- さより刺(けんに大根、きゅうり)
- ごはんwith海苔の佃煮
- 冷奴
- あさりの味噌汁
- 胡瓜とわかめの酢の物
- アサヒ贅沢日和
冷凍庫の塩鮭を焼こうと思っていたのだが、スーパーの魚コーナーにさよりが入荷していた。そのメタリックかつ透きとおった美しい細身に魅入られて買ってしまった。
さよりってけっこう厚みのある魚なんだな。もっと平たいと思ってた。厚いというか、筒みたいに断面が円い。小骨はとらなくても大丈夫だったかもしれない。むきになって引っこ抜いていたら身の透明感がなんとなく失われてしまい惜しいことをしたと思った。
読み終えた
- 作者: 幸田文
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1957/12/27
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しかし不安か?と思い返すと実はそんなことはなくて、主人公の梨花の眼のよさ、物事の勘どころをたちまちつかんで機転を利かせていく、あるいは昔の経験を今の自身の体にひょいと引っ張り出して周囲のくろうとたちをはっとさせてしまう、そんな活躍ぶりに惚れ惚れしていた自分はむしろ物語が終わってしまうのを非常に惜しく思いながら最後のページをめくったのだった。
終盤、置屋の主人はその地域あげての演芸会のため、三味線を抱え清元の稽古に励む。梨花は朝に昼にはたらきながらその調べを耳にするが、どうにもうまく聴けたものでない一節があって特にそれが心にかかっていた。しかしそれがある朝突然吹っ切れた。その微妙な違いを梨花の感覚は察知したのだが、「しろと」の女中であるはずの彼女にどうしてその違いがわかるのかと、主人から逆に問い詰められる場面。このくだりが印象に残った。
「さ、どこよ。……いったん云い出しといて卑怯だわ。」しろうとに何がわかるかと嵩にかかりながら、結局こちらが何も知らないと確かめておいて圧服させてやろうという、えらがっている気持ちがびりびりと響いてくる。ひとに聴いてもらうために唄うのだろう。唄う以上は女中であろうがなかろうが、糸道の明いてる明かないにかかわらず、聴いてもらうほかあるまい。女中さんだって切符を買って劇場へ納まればりっぱなお客だ。一双の眼があり二ツの耳があり、千人が千人万人が万人、自由な鑑賞をしていい。人前で唄う気ならしろうと・くろうとの区別をつけて聴かせるのではない。
清元ってなんだ?な俺だけども、思わず太字で強調とかしてしまうのであった。
寝つきが悪い
へんなみじかい夢みた。
暗闇にすっと薄っぺらい布団の柄が浮かび上がる。目の前には知らない男が仰向けに寝ていた。
「濡らしてくれ、濡らしてくれよ」
とその男の細い声が響いたのではっとした。末期の水をとり、彼の唇を湿してくれということなのだった。
声の余韻がしばらく耳にまとわりつき、やがて遠ざかって目が覚めた。