せすにっき

日記。2019年1月にはてなダイアリーから引っ越しました。2024年もそこそこ適当に生きたい。

読んだ

字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ (光文社新書)

字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ (光文社新書)

これおもしろかった!むかーしむかし、通っていた学校の文化祭で劇を上演するにあたって、俺は台本を訳して字幕を作る係になったことがあるので*1、字幕屋さんの苦労がどんなかんじなのかというのはほんのちみっとだけど身にしみてわかる。使える文字数が圧倒的に少ないんだよ。
その演劇のにわか字幕屋を引き受けた時、俺はちょっとタカビーな王女さまのセリフにやたら「〜して頂戴」をあてていた記憶がある。「〜して」だけだとなんか命令形なのか何かの言いかけなのかはっきりしないし、「しなさい」ってほど無味乾燥な言い方でもないし、ちょっとおすましした「〜してちょうだい」がちょうどいいんだけど字数が多すぎるんだよ。しょうがないから「頂戴」と漢字に変換して3文字減らしたんだけど、全編通して読んでみると逆に不自然なことこのうえない。いや、出来栄え以前の問題だったんだなあの時は。自分では涙ぐましい努力をしたつもりだったのに、どうにも字数を削りきれなくてとうとうそのまま当日本番に突入したんだよ。早口の王女さまのセリフにシンクロしてとんでもない速さで字幕が入れ替わっていくのを見守りながら俺は、観客は誰ひとりとしてそれらを読み通せやしないであろうと絶望とともに確信した。
その学生演劇1回こっきりの俺でさえ、机に頭を打ち付けたくなるくらい苦戦したのだ。さまざまな種類の映画や映像、それにまつわるもろもろと対峙しなくてはならないプロの字幕屋の苦労というものはこの何倍、何十倍もあるのだろうと考えるとほんとうに頭が下がる。字数制限だけでなくいろんなものとの戦いが、それでもあくまでコミカルに、ざっくばらんに語られていて、まるで親戚のおばさまと喫茶店でケーキをつつきながら愚痴を聞いたり大笑いしたりと延々ダベッているような、そんな楽しい気分になれる。っていうか俺たぶん、文章ににじみ出てくるこの人の生き方と考え方が好き。

*1:映画の字幕と違って、舞台の脇に立てた白い板っぺらに専用のプロジェクターで投影した字幕を観客に見てもらう仕組み