せすにっき

日記。2019年1月にはてなダイアリーから引っ越しました。2024年もそこそこ適当に生きたい。

晩飯

増量してないkiriクリームチーズは買わずにスルーする癖がついてしまった今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。フレッシュ&クリーミー
寝床でこれ読んでる。つか、眺めてる。

歌と写真と解説。あと、大岡氏による現代語訳?訳文というよりは詩情たっぷりにうたい直した、というような一節が、歌の脇に添えられている。
しかし俺はすごい勘違いをしていたことに今日気がついた。

君がため惜しからざりし命さへ長くもがなと思ひけるかな

藤原義孝の歌。この本では脇にこのような一節が添えられている。

きのうまでは思っていました あなたのためなら死んでもいい 一度だけでも逢えるならと……
今はちがいます 幸せでいっぱいになって 私は願う いつまでも生きていたいと

この本によると「後拾遺集」には「女の許より帰りて遣はしける 少将藤原義孝」と詞書があるそうで、それを念頭に置くならば当然、ずっと抱いていた恋心が叶った後、さめるどころか幸福感とともにさらに募っていく強い想いを表現したものと読める。女性のもとから帰って彼が本当にそう思っていたのか、社交辞令的にこういう歌を詠んだのかは別として、そういう内容の歌だ。もっとも、その後21歳という若さでこの世を去る歌人への評価とあいまって、この歌にあらわされているのは一途な作者の率直な恋情である、と解釈されているようだ。社交辞令とか書くともしかして俺は怒られるのかもしれない。
で、勘違いというのはどういうことかというと、俺は今までずっとずっとこの歌をもっと悲しい歌だと思い込んでいたのだった。
俺の解釈

あなたのために捨てても惜しくはない、と思っていたわが命でした
いつまでも振り向いてはくれないあなた
それでも私は望みを捨て去ることができず
死んでもいい、と思っていた自分の身さえも
いつしかあなたが私の想いを受け入れてくれる日までは
永らえていたいと切に願うようになってしまったのです