せすにっき

日記。2019年1月にはてなダイアリーから引っ越しました。2024年もそこそこ適当に生きたい。

鎧と遺跡を見た

なんだなんだ、近場にいいもんがあるじゃないか。

というわけで行ってきた。
隣の公園には復原された古代の住居があったり、方形周溝墓という墳墓がかなり原形がわかるように保存されたりしているらしい、ってんでピューッと出かけてみた。まずはその遺跡公園についての予備知識をゲットしようと思って博物館へ先に足を運んだら、企画展では後三年の役の合戦絵巻やら、鎧兜の復元品やら、またえらい面白いものが展示されていて見入ってしまった。
ヨロイカブトってむちゃくちゃ重いのな。すごいのになるとセットで30キログラムですよ。俺だったら着ても絶対立ちあがれない。立ち上がれても馬の背に上がれない。こういうのをフルセットで着用できるのは偉い武士だったんだろうけど、武士ヤバイ。超ヤバイ。俺足軽でいい。
だって鎧を作るときってさ、穴の開いた革とか鉄のちっちゃい板っきれ、札(さね)っていうんだけどさ、それを穴一列分だけずらしながらたくさん連ねて紐でつないで帯状のパーツを作ってさ、さらに漆を塗って強化して、それを並べて上下につないでいく(緒を通す=緒通し→おどし→「威」)んだよ。こんだけ重ねてりゃ重いよ!それを体に巻きつけるだけじゃなくて、両肩にも下げるんだよ!肩こるじゃん!頭にかぶる兜のヘルメット状の部分の裾にもぐるりと取り付けちゃってるんだよ!頭が重くてよけい肩こるじゃん!!で、そんなものごっつい装備なのに、威に使う組み紐の配色がすげえ綺麗にグラデーションしてたりとか、パーツの縁を何色もの糸でかがったりとか、かっこいい形の鋲を打ったりとかしちゃってさ。すんげえ華やかなの。俺はもうね、とっさにね、一番お気に入りのモーターヘッド、オージェ・アルスキュルの美しさを思い浮かべることしかできなかったですね。なんでじゃ。こういうのがすでに戦国どころか鎌倉時代には作られてたんだ。すげえ。日本すげえ。
と鎧兜を堪能したあとで常設展示、横浜の歴史をざざっと概観。あれ?隣の遺跡の予備知識は?と思い出したものの、オージェいやもとい鎧兜に見とれていたために時間がなくなりそのまま遺跡公園へ。弥生時代のものとみられる環濠集落の復原エリアはこれまた見学時間が限られていてじっくり見られなかった。いや確かに夜間は門を閉めておかないと、雨風しのげるから誰か住み着いちゃうよなこりゃ。いくつもある竪穴式住居の内部にも入ってみたけど、ちょっとカビくさかった。
環濠集落からほど近いところに方形周溝墓群があった。四角く溝を掘ってその内側に盛り土をし、その中央部に木棺を埋葬したものだそうだ。こないだ行ってそのわかりにくさにがっかりした芝の前方後円墳に比べると、保存のために上に土をかぶせてあるものの、その形や大きさがとてもよくわかる。すげえ。神奈川あたりってのは古代から気候がよくて住みやすかったのか、実は遺跡がとても多いんだそうだ。