せすにっき

日記。2019年1月にはてなダイアリーから引っ越しました。2024年もそこそこ適当に生きたい。

いれものとなかみについて

法隆寺の謎を解く (ちくま新書)

法隆寺の謎を解く (ちくま新書)

過去日記にコメントをいただいて思い出したので書いてみる。
法隆寺中門は、広く開かれているべき門の真ん中に柱がでんと立つ構造になっていて、これが歴史家のみならずいろんな人たちのあいだで議論を呼んできた。というわけでこの本を読んでほほほー、と感心感動したのが先月のこと。色々勉強になる事実がいっぱいあって、それについていくのにあっぷあっぷしていた自分はその本から、もうひとつ強く記憶に残っていた一節をメモしておくのを忘れたのでここに追記しておくことにする。中門議論についてのくだりなのだが、この文章は議論の内容からはまた少し離れた角度で自分の心に差し込んできたのだった。
第三章「法隆寺は突然変異か」。諸説をリストアップして、本著者がそれらに対する見解を述べているところ。

(三)の竹山説は自分の内面的世界をこの門に投影しています。中門に触発された思想家の独白として興味深いものがあります。しかし、中門を語るというよりはむしろ、これに託して自分の思想を語っている感が強い。精神性を求めるあまり思い入れが過剰となり、かえって説得力を欠いてしまっている。

俺は竹山説というのを直接読んでいないのだが、原典にはどこであたれるんだろか。
これかな?

古都遍歴―奈良 (1969年)

古都遍歴―奈良 (1969年)

というか俺は竹山道雄というと小学生の頃に読んだ「ビルマの竪琴」しか知らない。で、上に引用した一節がなぜ法隆寺本という主題とはまったく関係なくココロに残ったのかというと、歴史に残ったたったひとつの事物や事件をめぐって後世の人はほんとうにさまざまな解釈をしていくものなのだなあ、と思っていたところに、その理由のひとつともいえるものがこの一節により、ごく簡潔に目の前に提示されたからなのだった。
数学とか物理学とか、そういう学問の世界についてはよくわからないけれど、人が作ったもの、人が起こしたことがら、そういったものを読み解いて筋道を与えるという作業においては、誰もが知らず知らずに自分自身を晒していく運命にあるのではないだろーか。学問の世界においては、ひとつの事実を解き明かすのに支障となってはならない、という重要な一線があるために、事実からあまりに遊離しているとみなされれば「観念的」とされる、とか。でも、その説を唱えている本人は、遊離?とんでもない。自分にとってはそれそのものが自分にとって事実であるのに、とか思うのではなかろーか。人に自分の考えを説明するのがとてつもなく億劫で、いつも対話を初手から放棄気味である非コミュな俺としては、ガクモンの道は険しいなあ、とその道を進み続ける人たちを尊敬せざるを得ないわけです。すげえ。
なんかうまく言えないけど、人間って、自分の器を超えるようなことを言うことはできないんだな、と思う。それを望むなら自分の器、自分を形作る「いれもの」を大きくしていかなくてはならないんじゃないかな。他の人から見た自分であるいれものの中には液体なり固体なり何かが入っていて、それが何かを人に伝えることによって、きっといれもの自体も形や大きさを変えていき、それによってなかみもまた変わっていく。小さいのはいやだ、こんなへんな形はいやだ、自分はもっと大きなことすごいことを言うことができる存在なんだ、といれものを放棄したら、なんでも言えるようになるどころか、中のものがみんな流れ出して虚空へと消えてしまうんだ。