せすにっき

日記。2019年1月にはてなダイアリーから引っ越しました。2024年もそこそこ適当に生きたい。

なぜかこの時間から呑み始める

アサヒの長熟とかいうビールが結構気に入った。しかし肴はベーコンと月餅である。ビール職人の人が聞いたら泣いちゃうかもしれない。でも月餅にビールは割と合うと今食べながら思うのでどうか泣かないで欲しい。でも味覚のぶっこわれた俺の言葉にのせられて試したりはしないで欲しい。いや、今もう一口飲んで食べてみたらやっぱりうまい。ここを読んでやってみようという酔狂な人は自己責任でよろしくお願いします。
風呂で残りの50ページほどを読み終えた。

日本の狂気誌 (講談社学術文庫)

日本の狂気誌 (講談社学術文庫)

うむ、近代に入って西洋医学がどかーっと入ってくる、その前からすでに日本の社会は「狂い」を受け入れる余地を少しずつ失っていたのだな。しかも社会の近代化が全てを解決に導いたわけでは決してなかった。たとえば、かつては社会に適応できなくなったそのような人たちが寺院預かりという形で送られた仏教施設も、明治に入って廃仏毀釈の流れに巻き込まれ、急速に受け入れ口としての機能を放棄せざるを得なくなった。

(略)江戸時代の社会では、たとえば町内で共同で面倒を見ている知恵遅れの人がいたり、そのほか寺院弟子という形態や、場合によっては旅の社会、つまり巡礼や旅芸人、旅の小宗教家(修験山伏)、または旅の絵師や俳諧師など、正常な常民の社会に適応できない非適応型の人々のための座がそれなりにあったのに、明治の社会はこれらのものを一気に破壊した。

(略)
成立当時の明治政府は、財政難もあったが富国強兵に力を注ぐあまり、社会病理的問題にはほとんど無関心であった。当時の東京府には、寛政改革の際、松平定信の指導によって、江戸各所の町会所が積み立てた基金(七分積金)が相当の額に達しており、これは本来、貧民救済、そのほかの社会政策に用いられるべきものであったのに、明治政府はこれを東京市内の道路や橋梁の整備に回そうとしたのは象徴的である。

メモ(気が向いたら調べる)

そういえばロシアにはユロージヴィ(聖痴愚)と呼ばれる存在がかつてあったが、かれらに代表されるあの国の「道にあくがれ出た」者達は、やっぱり農奴解放につづく近代化によって影響を受けたりしたんだろうか。