せすにっき

日記。2019年1月にはてなダイアリーから引っ越しました。2024年もそこそこ適当に生きたい。

串刺しだんごのような読書

この日記にも書いたのだが、ちょっと前にこれを入手して読んだ。

文鳥・夢十夜 (新潮文庫)

文鳥・夢十夜 (新潮文庫)

コメントで教えていただいた「夢十夜」という作品が目当てだった。しかし「文鳥」に現れる、きめ細やかな描写と作家自身の心の揺れなども印象に残り、昔国語の教科書に一部分だけが載っていた「こころ」と、「坊っちゃん」それに「吾輩は猫である」しか知らなかった俺は結構感銘を受けたものだった。「思い出す事など」では漱石が死の淵をのぞきこむ羽目になった修善寺での療養中のことについてが描かれていて、読むだけでこっちの胃もおかしくなりそうな病気の話が出てきたのでちょっと気がめいった。なまじ心に響く文章なものだからついつい引き込まれてしまって、すげえ血の塊を吐いたとかそんな描写が出てくると目の前にぶわっとその光景が再現されてしまうのだ。うああ思い出してしまった。
漱石修善寺へ移る頃には既にその予兆のごとく雨が降り出していた。その後何日か悪天が続き、そのうちに近辺の川の増水を聞き、さらに東京から来るはずの郵便、新聞も遅れるようになり、漱石はやがて妻子の居る東の地の水禍について知ることとなった。明治43年8月、関東大洪水。下女から聞く伊豆の出水の話に世間から途絶し療養している自分の身を漠然と楽しむような気持ちでいた漱石へ徐々に不安が忍び寄り、それは病状にも少なからず影響を与えていったのではないかと思う。
豪雨の前兆 (文春文庫)

豪雨の前兆 (文春文庫)

そのあたりのことが、漱石とは何の関係もないだろうと思ったこの本に思いがけず書かれていた。夜行急行列車が登場する映画についてとりあげた文章から始まるエッセー集だが、途中に明治の末の漱石とその周囲の人々について書かれた文章群なども収められている。
しかしいちばん印象に残ったのは『文庫版のための「あとがき」』だった。と書くと本編はどうなのよ、と怒られてしまいそうだが、このエッセー集が世に出てしばらく時を経たのちの文庫化にあたって、「死んだ人を好む」と自らを称する著者自身が「私の好きなことを苦しみながらたのしく書いた」と振り返り、書名をあえて「豪雨の前兆」としたことに触れている。

雨に先立って風が吹く。草原が揺れる。遠い雷鳴が聞こえる。天から地へと稲妻が走る。ティンパニーが響きわたる。
不穏である。心が波立つ。
私は、この不穏さ、心の波立ちが好きなのである。

という一節にはちょっと唸ってしまうところがあって、またちょうどそれらに散らばっていた単語から個人的に思い出すところもあって、雨の葬式の思い出なんかをこないだ日記に書いてみたりもした。
しっかし漱石は病気が軽快してきっと東京に帰ってきてからも、激しい雨の日なんかには修善寺でのことをまざまざと思い出したりしたんだろうなあ。

漱石の孫 (新潮文庫)

漱石の孫 (新潮文庫)

で、3冊目はぽこっと気まぐれで買って積読になっていたのをうんと下のほうから引っこ抜いた。うーむ、文豪の孫。本人降臨?のスレを思い出す。

公園のベンチでこの本の最後の方、英国ロケでの猫話を読んでいるときにとてもタイミングよく野良猫が寄ってきて俺の膝まで乗っかってきたので笑ってしまった。そのうちそのまま丸くなって寝息を立ててしまったが、もしかしてもしかしたら、一緒に読みたかったのかもしれない。やっぱりたぶん夏目家の人の著作は猫界ではとても有名なのにちがいない。
おまけに巻末の解説を上記関川氏が書かれていたのでちょい驚いた。
積読がたまってるし「国家の罠」は120ページ読んだところで止まってるけども、次の次あたりに漱石の「硝子戸の中」を読んでみようかな。