せすにっき

日記。2019年1月にはてなダイアリーから引っ越しました。2024年もそこそこ適当に生きたい。

ピノ14箱目(作り話未満未満)

道を歩きながら考え事をしていて「あ、これ日記に書こう」と思ったのにそのまま中身を忘れてしまいPCの前で呆然としたこと優に100回以上の俺ですこんばんは。
願いのピノなんて当たらないんだ。きっとそもそもものすごく当たりにくいものなのだ。そんな高嶺のピノを求めて、あー当たったら写真とってアプしようとか思っていた俺の見当があまあまだったのだ。そもそもなぜ自分が当たると思ったのだろうか。こういう抽選系とかくじ系にはとんと縁がなかった俺はとりあえずスペックとしては「仲間はずれがこわいので仲間はずしをする」という、連日ナガノマンガを引き合いに出してファンの人には申し訳ないけどもすげこまキャラで行こう、そう決めたはずなのだった。仲間はずし。なんと甘美が完備な響きなのだろう。はずす本人に仲間なんかいないはずなのに仲間はずし。「ぼくに関係ないところで起こる楽しいことは、すべてぼくへのいやがらせとみなす!」では、関係ないところで起こる悲しいこと、ひどいことはぼくにとっての何なのだ?そんな問いに答えは無い。ぼくに関係ないところで起こることは、すべて楽しいことだから。*1願いのピノは「あっちの世界」ぼくに関係ないところに存在するモノなのだ。
ぼくの世界はかなしくて、ぼくの世界はつまらなくて、ぼくの世界はなにもない。だってぼく以外にぼくの世界を楽しむ生き物がいるわけがないだろう?ぼくの世界はぼくだけのもので、それを面白いとか楽しいとか言って来る人は、そもそもあっちの世界の人で、そして彼らはとうていぼくと同じようにぼくの世界を楽しむことができるわけがない。できたとしたら?できたとしたら、それはすばらしいことですね。楽しいですか?おもしろいですか?ぼくの世界を楽しんで、大事にしてくれる人がもしいたとしたら、それはすばらしいことですね。だって、そうしたら、ぼくはもうこの世界を守っていかなくてもいいんだから。ぼくは用済みなんだ。
で、なんだっけ。何書こうとしたのか忘れた。ああピノはうまいなあ。

*1:なぜならば、悲しいこと、ひどいことはすべてぼくがこの世に存在してこの世を存在させているがために起こるからなのだ。ぼくがいなかったらぼくはぼくという存在をあらしめているという薄いつながりで関係しているこの世界を認識することもなく、ゆえにぼくが存在する世界という物自体が存在しなくなるから