- 作者: 篠田節子
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2002/10
- メディア: 文庫
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しかし、こんなケース、実際にありそうだなあ、リアリティあるなあ、と感心しながら読んでいた作品に突如超常現象とかありえない偶然っぽいものが出てくると、自分はそれにどうも違和感を感じてしまう。そして、読み進めながら、いったいこの違和感をどう解決してくれるんですか、とその本を書いた作者に心の中で呼びかけていたりする(やや電波な行動)。そしてその答えが科学的理論的に示されることなくうやむやのうちに終わってしまうと、現実世界で味わうのと同じようなもやもやが、自分の頭の中に残ってしまうのだ。これは本が悪いんじゃなくて、たぶん自分の悪い癖。
「ゴサインタン」では、神の奇跡と称されるようなものから、呪い・祟りのたぐいに区別されるものまで、色んな不思議現象が起きる。それを引き起こしているのは、ネパールの山岳民族出身の結木家の嫁で、彼女はやがてその不思議な力と振る舞いから人々に神とあがめられ・・・というかんじのストーリーなのだけども、彼女の力がいったいなんだったのかということは結局作者からは語られずに終わる。語られないまま、物語の途中までさんざん読者を引きずりまわして手に汗握らせた彼女の生き神としての力はやがて失われ、一種の生活共同体の体を成していった信者たちとの生活もそれに伴い終わりを告げる。行方をくらました彼女を探す夫(実はこっちが主人公なのだ)が知った、帰国直前の彼女についての事実には、思わず「うえー!そういうオチか!」と口をポカンと開いてしまった。うやむやどころじゃなくて、「はい、神がかりとか超常現象うんぬんは別にたいして重要じゃないことだからね」とばかりにそこで物語が転換するわけなんだけども。
で、何が言いたいのか毎度の事ながらわかんなくなってきたので、シンプルに感想を。読み終わってまず思ったのは、この話は結局、とんでもなくドラマティックすぎる恋愛小説だったのかな、ということだった。
*1:正確にはこれは嫁のせいじゃないかも