せすにっき

日記。2019年1月にはてなダイアリーから引っ越しました。2024年もそこそこ適当に生きたい。

できる自分を夢見るだけで幸せになれたという話

ずっとずっと、幸せだった。
自分には、常に数々の選択肢があった。その中から自分は自分にとってもっともよいものを選んでいくだけでよかった。人生は常に変遷を続けるが、無数の分岐点を自分は何の苦悩もなく乗り越え、ここまでやってきた。いや、悩むことがなかったといえばそれは嘘になるが、悩んだ末に手にした結果が過去の自分の幸せを下回ることが皆無だったという事実はまさに、いかに自分が恵まれた人生を送ってきたかを表していることだろう。
頭の悪い自分は、いつでもこう考える。
「・・・じゃなかったら、死のう」
いちかばちか、オールオアナッシング。これはスリリングで、非常に楽しいゲームだ。
ゲームに勝てば、高らかに笑いながら祝杯を挙げる。負ければ無残な骨をさらすハゲタカの餌。
だから、今、自分が最善の選択をしてこの一生を終えるならば、これ以上の幸せはない、と、ゴミ屑の自分は思うのだ。
その罰ゲームはなんと簡単なシステムであることか。どうでもいい朝のどうでもいいいっとき、日本という小さな国のどっかの電車の路線が麻痺して、居合わせた何割かの人が舌打ちをするだけ。肉片も血痕もほどなく片付けられてすべてがやがて平穏に還っていく。
どうだい?乗ってみないかい?
そんな声を聞いた人に、今なら「ちょっとだけ、待って」と言えるかもしれない。
誰かのために生きているのか?違うだろう?
どうしたいの?
どうするの?
泣きたいの?
誰かに洗いざらいぶちまけたいの?
それともただの肉片になりたいだけなの?
選択肢を持っているだけで幸せなのだ、と真顔で言いながらこちらににじりよってくる馬鹿どもはこの際バスターランチャーで粉塵にしてしまおうよ。
選ぶとか、選ばないとか、そんな次元を超えてあなたを縛り続ける存在があるのだから。
それは、あなた自身だ。