せすにっき

日記。2019年1月にはてなダイアリーから引っ越しました。2024年もそこそこ適当に生きたい。

外出

川崎大師へ厄除けに行って来た。
平日で産道、じゃなくて参道もガラガラで、それでも飴屋や土産屋は明るい声を張り上げて客を呼んでいた。自分はそういう人と目が合うだけで「もうだめだ買わなきゃだめだ逃げられない」とフラフラ店に入ってしまう弱気ヒューマンなので、顔をまっすぐ前に向けて脇目もふらず、門の向こうに見える大本堂だけを鋭く見つめながら歩いた。多分ちょっと変な人だと思われたと思う。
そして厄除けの祈祷の申し込み用紙に記入していてやっと気がついたのだが、ここは神社ではなくて寺なのであった。前にもここで柏手を打つのか打たないのかわからなくなった時があり、その際に、ああ、ここは寺なんだな、と確認していたのにも関わらず、今日またそのことに気づいて驚いた。どうも自分の中では大きな建物と広い敷地を持つ寺社は全部神社と思い込んでしまうふしがあるらしい。東大寺はどうした、自分。金閣寺だって広いぞ、あれも神社か、自分。
時間になり大本堂の畳敷の間へ靴を脱いで上がる。年配の人が多いが赤ん坊を抱いた女性もいる。護摩を焚くのって初めて見る。面白いなあ。
葬式以外でお経を聴くのはものすごく久しぶりのような気がする。お坊さんのすぐそばにいた女性に抱かれた赤ん坊は案の定怯えて泣き叫び始めた。そらそうだなあ。怖いよなあ。親子とおぼしきふたりの女性は我が子・我が孫の健康を祈願するために赤子を連れてお大師様へ来たんだろうけど、当の赤ん坊本人は薄暗い空間で低い声で唱えられる呪文のような怪しい声音に、極めて赤ん坊らしい自然な反応。
お札をもらってから気づいたんだが、祈祷料5000円のお札ってなんかちょっとでかすぎる。3000円のでよかった。いや、大きさで選ぶわけじゃないのだけれど。これは一体あの狭い部屋のどこに置けばいいのだ。
横浜に戻り、かねてから検討していた一ヶ月使い捨てのコンタクトレンズのお試し品をもらってきた。女医さんに「角膜がとってもきれいですね」と言われてなぜか無性に嬉しくなる。多分「きれいですね」と褒められただけで、それがどの部位についての言葉かということには全く関係なく反応してしまう、そんなおバカなお年頃。もしかしたら「脳みそツルツルでしわ一つないね」と言われても嬉しくなってしまうかもしれない。心底バカである。
帰ってきてから、朝から何も食べていなかったことを思い出した。お好み焼きを作って食べながらビールでまったり中。そういえばくず餅を買ってきた。明日中に食べなくては。