せすにっき

日記。2019年1月にはてなダイアリーから引っ越しました。2024年もそこそこ適当に生きたい。

今日、バカを殺しました

ばあちゃんへ。元気ですか。
僕は元気です。でも、もうだめです。でも、元気で生きていくと思います。
なんか変ですか?でも、気にしないでください。
今日はちょっと長い手紙になっちゃうけど、でも読んでください。
 
小さい頃からからずっと僕の中には、もう一人の僕がいました。
僕は実はとても引っ込み思案で、気が小さくて、臆病な子供でした。
でも、時々みんなを笑わせたり、びっくりさせるようないたずらをやらかして
ばあちゃんや友達や先生をあぜんとさせたりした思い出があります。
そんな時、僕はみんなの顔を見て、どう?面白い?と鼻高々でした。
そういうことをやらかしていたのは、もう一人の僕だったんです。
 
そいつを僕はいつしか、「バカな僕」と呼んでいました。
大きな椎の木の枝から飛び降りて足の骨を折ったり、
ばあちゃんがしまいこんでいた昔の化粧品で顔を真っ白にしたり、
遠くに転校していった友達に会いに、お金も無いのに電車に乗ったり、
そういうことをしたのは、みんな「バカ」の仕業だったんです。
枝のはるか下で自分を見上げて真っ青になる担任の先生の顔が、
買い物から帰ってきて腰を抜かさんばかりに驚いたばあちゃんの顔が、
どうしてここまで、と信じられないような友達の顔が、
その時には本当に楽しくて嬉しくて、バカは調子に乗りました。
ばあちゃんにはいっぱい心配かけました。ごめんなさい。
 
中学校でも、普段はおとなしい僕の中のバカがふとしたことで目覚め、
いろんなことをやりました。
文房具屋に飾られていた欲しくもない地球儀を、「これを取ったらヒーローになれる」と
学生服の下に無理矢理隠して、妊婦さんみたいな格好で
放課後の誰もいない教室まで持って帰りました。
その時はさすがに僕はわれに帰りました。
バカよ、何をやってるんだ、と思いました。
その時バカは、僕の心の中でぺろっと舌を出しました。
でも小心者の僕は、その地球儀を返しに行くことができずに
教室に置いたままにしてしまいました。
その地球儀は、卒業までずっと教室に置いてありました。そのあとは知りません。
 
高校に入ってから、バカに変化が現れました。
色気づいたとでも言うんでしょうか。異性の目を気にするようになりました。
そして、目立ちたいがために、バカな言動はエスカレートしていきました。
そのうちバカは、同級生の女の子に、告白されました。
バカは舞い上がりました。
自分は素晴らしい人間なんだ。
自分はこの子を幸せにしてやれるんだ。そう思い上がりました。
しかしその幸せはすぐに終わりました。
「あなたといるともっと楽しいと思ったのに」
そういって彼女は僕から去っていきました。
そりゃそうです、クラスでいつもむちゃくちゃ楽しそうにしゃべったり
笑ったりしている時の僕はたいていバカの僕ですが、
ほんとうの僕は、静かに本を読んだり、空を見つめてぼーっと
とりとめのない考え事をしているのが好きだったのです。
放課後に待ち合わせてお茶を飲んでいても、
いつもしゃべっているのは彼女ばかり。
時々バカの僕が張りきって出てきて彼女の新しい髪型をほめたり、
奮発してちょっと高そうな、おしゃれなレストランで彼女にごちそうしたりすると、
彼女は、嬉しそうに笑う。
でも、バカの僕は疲れるとすぐに引っ込んでしまう。
彼女にとっての楽しい時間はすぐに終わってしまうんです。
 
大学に入ってもそんな調子で、
時々バカがなんか派手なことをやったりすると
女の子がなになに?と寄ってきたりします。
バカもそれを期待して振る舞っているようでした。
あいつはなにしろ人が楽しそうに自分を取り巻くのが大好きだったんです。
「いっしょにいてもいい?」とか聞かれて、よせばいいのに
「うん、実は、僕も・・・」なんて調子のいいことをまたバカは、言うんです。
そのくせバカは、自分の言ったことに、責任を持とうとしないんです。
僕はいつのまにか「女の子と付き合ってはすぐ捨てる」なんて陰口を叩かれていました。
 
男の友達は多かったし、フォローしてくれる女の子もいたので気にしませんでした。
そういう奴らとは社会に出てからも付き合いは続いたし、新しい友達も増えました。
でも、その友達も、なんだか自分の友達じゃないような気がしていました。
人前にいると、相変わらずバカははしゃいで進んで楽しいことを提案したり、
いろんな話題を振ってはみんなを笑わせます。
こいつらは僕じゃなくて、バカと話したいんだろうな。
時々無謀な無銭旅行を敢行したり、ボーナス全部で馬券を買って
当たった分でみんなで豪遊したりする、そんなバカが好きなんだろうな。
でもそんな僕には気付かずに、やっぱり「いっしょにいてもいい?」って
女の子がバカの僕に話しかけてくることも何度かありました。
でもやっぱり、彼女たちの楽しそうな様子はあまり続きませんでした。
部屋から見える空に浮かぶ雲の数を数えたり、
一日中ゴロゴロして何もしない幸せをかみしめる自分なんか
退屈でいっしょになんかいられないんだろうな、
そんな気がしていました。
 
でも僕は気付きました。
僕は僕であって、僕の人生はバカの人生じゃないんです。
このままでは僕は、一人でぼーっとしているのが好きなはずの僕は、
「騒がしくってアホばかり言って、しかも女にだらしない男」として
生きていかなきゃいけなくなる、そんな危機感を覚えました。
その方が幸せなんじゃないだろうか、とも考えましたが、
でもそのことを考え始めてから、バカが出てきてみんなの中でわいわいしゃべっていても、
胸が苦しくってしょうがなかったんです。
 
職場でも「面白い奴」として通っていたので、
急に静かになった自分を見て、上司も心配そうな顔をしました。
でもそれは、本当に心配してくれている、というのとは違うような気がしました。
「いつも明るいこいつが沈んでいると、社内の空気がおかしくなるなあ」
「早くいつもの通りに戻ってくれないと、こっちはやりづらくてしかたないなあ」
そんな様子が見て取れました。いや、それは思いすごしだったかもしれません。
でもその時点で、僕は、絶望を感じました。
バカの僕の方が、会社の役に立っているんだ、と。
 
僕がおとなしくなってから、というよりはむしろ、
人前でも本来の僕として振る舞うようになってから、
学生時代からの友達も戸惑ったようでした。
仕事でなにかあったのか、とか、女か?とか、
色々聞かれたけれど、僕にとってはうざったいばかりでした。
それどころか、腹立たしいくらいでした。
お前らは、ほんとうの僕のことを何もわかっていないくせに
何でも話せよ、とか、どこかへぱーっと気晴らしに遊びに行こうぜ、とか、
お前らは、僕じゃなくて、バカな僕のことを心配しているんだな。
そう思いました。
こいつらに罪はないけれど、でも、どう説明しても
わかってもらえないだろうな、と思いました。
バカは僕の中でしゃべりたがりましたが、僕はそれを押さえつけました。
お前の人生じゃない。
みんなに期待されているバカがうらやましくて、妬ましくて、
僕は僕の友達ではないバカの友達に、そっけない答えばかり返しました。
バカへの仕返しのつもりでした。
だんだんと携帯に届くメールが減っていきました。
 
バカはそれから社会的に抹殺されました。それからは僕の天国です。
会社でも必要な事柄以外は一切話さず、昼休みには屋上で
ずっと空を見ながら一人でタバコをふかしています。
同僚が仕事を手抜きして大きなミスをしても、バカな僕なら笑ってフォローするのでしょうが、
ほんとうの僕はそんなに甘い人間じゃないのです。これは会社の損失になっているのです。
上に報告してやりました。そいつは今はもうこの会社にいません。
僕が出先から戻ると社内の空気が一瞬止まるのですが、
あまり気にしません。以前からの変わりように周囲からは
精神的に参っちゃった人とでも思われているんでしょうか。
おかしいですよね。ほんとうは逆なのに。
残業の後飲みに誘われることもなくなり、テレビを見ながら
部屋で一人でぼーっとすごす時間がとても幸せです。
 
でも、それからバカは、僕の夢の中で思う存分バカをやるようになりました。
上司にゴルフの話をして楽しげに盛り上がり、うまく立ち回って新しい部署を任されたり、
友達に声をかけまくって夜の街を飲み歩き、ひと晩で百万単位の金を使ったり、
果ては市長に立候補し、その口のうまさで一躍トップ候補として注目を浴びたりしました。
そのどれもが今の僕―いやほんとうの僕にはできないことばかりでした。
それを僕は、遠くから見ているだけなのです。
 
バカはある晩の夢の中、宴会の席で、以前遠いところに転校していった
小学校の同級生の女の子に、おどけて告白をしていました。
バカはよれよれのワイシャツの胸をはだけて、頭にネクタイを巻いていました。
遠くから僕は「やめろよ!」と叫びました。が、耳に届いている様子はありませんでした。
女の子はびっくりしたような顔をしていました。
あの日郊外電車に乗って出かけた遠い町の見知らぬ小学校の校門で見せた、
あの顔のままでした。
そしてみっともない格好のバカに、にっこり笑いかけました。
「君って相変わらず面白いのねえ。」
 
バカが夢の中で活躍した翌朝、どうしてか、僕はいつも涙を流しながら目を覚まします。
そしてうまくもないインスタントのコーヒーを流し込んで、満員電車に揺られ、
自分が現れると一瞬静まりかえるあのオフィスへと入っていくのです。
なんだか自分がとてもみじめに思えてきました。
そしてそれはそのまま、夢の中でもいつも楽しそうなバカへの憎しみへとつながっていきました。
 
その夜もバカは現れました。
なぜかショッキングピンクのかみしもを着ています。
そして花嫁が、霧の向こうから現れました。あの同級生でした。
彼女はウェディングドレスを着ています。
教会式です。牧師さんがいます。友達も親戚も上司もいます。
はっきりいってバカの格好は浮きまくっています。
夢の中と分かっていながら僕は、恥ずかしくてしかたありませんでした。
でも、花嫁は幸せそうに笑っています。周りのみんなも晴れやかな顔をしています。
昔別れた女の子の顔もいくつか見えます。でも、みんな笑っています。
みんながバカを祝福しています。
 
 お ま え が し あ わ せ に な る な ん て お か し い
 
僕の中の何かが、はじけました。
 
その瞬間、僕はその夢の中に入ることを許されました。
気がつくと僕の手にはナイフが握られていました。
僕は無我夢中で走り出しました。バカのいる方へ向かって。
にぶい感触がありました。悲鳴が上がりました。
花嫁が驚いた顔でバカを抱きかかえようとして、支えきれずにいっしょに倒れました。
バカのピンクの服が、赤く染まっていきました。
倒れたバカを取り囲み、花嫁もみんなも、バカの名前を呼びました。
その名前は、僕の名前なのに。
血まみれのナイフを持った僕を見ようともせず、みんなバカの名前を呼んでいました。
そこで、引き戻されるように夢から、覚めました。
 
バカな僕は死にました。
今日、僕が殺しました。
もう、夢の中にも、現実にも、出てくることはないと思います。
僕は明日の朝から心安らかに、静まり返ったオフィスへ出勤することができるでしょう。
若い部下が何かやらかしても、バカならどうするだろうな、などと余計なことは考えずに
厳しく対処できるでしょう。
上司の目が冷たかろうが、仕事さえできていれば、そこそこの地位にはいられる会社です。
だから、ばあちゃん、心配しないでください。
といっても、ばあちゃんは、バカをやらかした僕を叱りながらも
かわいがってくれた人ですから、今の僕のことはもう愛してくれないかもしれませんね。
でもひとつだけ、お願いがあります。
僕が殺したバカな僕は、きっとばあちゃんのもとに行くと思います。
おそらくそっちへは行けないだろう僕の代わりに、バカな僕を、抱きしめてやってください。
 
こんな僕にもいつの日か誰かに、祝福される時は、来るのでしょうか。