せすにっき

日記。2019年1月にはてなダイアリーから引っ越しました。2024年もそこそこ適当に生きたい。

これ読み始めた

小野小町再考―実像へのアプローチ

小野小町再考―実像へのアプローチ

小野小町って小野篁の子孫なんだっけ。この本にも系図がいくつか引用されているのだけど、そのうちいくつかは小野の一族の始祖を敏達天皇としていて、これは誤りであるらしい。

小野篁って、百人一首に「参議篁」として歌を残している人だよね。なんかあんまりよく覚えてないんだけど、遣唐使として大陸へ向け出発する際に、なんかが気に食わなくて仮病でドタキャンしたら天皇にバレて配流されたとかいうのが俺の脳内データなのだけど、出典はどこだ、と本を探したらやっぱりこれだった。微妙に記憶が違うじゃねーか俺。

百人一首―恋する宮廷 (中公新書)

百人一首―恋する宮廷 (中公新書)

自分の船が正使藤原常嗣の乗船に変更されたのを憤って病いを称して乗船せず、「西道謡」という詩をつくって遣唐使の役を諷刺、嵯峨上皇の怒りを買い、官位を剥奪され隠岐島に流された、というものだ。

で、その配流先へ旅立つ際に詠まれたという歌がこれ。

わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと人には告げよあまの釣り舟

広大な海原へ、たくさんの島々をめぐりつつ、配流先の隠岐島に向かって私の船は漕ぎ出していったと京の人たちには告げておくれ、漁師たちよ。というセンチメンタルな歌らしいけど、俺はこの「人には告げよ」の「人には」をへんなふうに受け止めていて、こんな歌なのだとついつい思ってしまう。

隠岐へ流されることにはなったが、私の想いは唐の地へ向かっているのだ。広大な海原へ、島々をめぐりつつ、私が大陸へと漕ぎ出していった、とでも京の人たちには告げておくれ。

そう、俺の中ではセンチメンタルどころか、「おいらだってほんとはちゃんと仕事したかったんだよ!日本のために、唐にだって行きたかったんだよ!だから京都の嵯峨上皇にはおいらがひとり遣唐使として出発するって言ってたとでもかましといてよ!まあこれから向かうのは配流先の隠岐島なんだけどさ」っていう、なんていうか、仕事が好きなのにそのプライドゆえに上司とケンカして左遷されちゃったリーマンの悲哀というよりむしろ茶目っ気と反発心混じりのアバヨな歌におもえてしかたがないのだ。ちなみにこの人、ご存知の向きも多いと思われまするが、初の遣隋使として名前の残る小野妹子の遠い子孫。