せすにっき

日記。2019年1月にはてなダイアリーから引っ越しました。2024年もそこそこ適当に生きたい。

実家日記

用事があってちょこっとだけ顔を出した。道を歩いていると、自分ら兄弟を自分の孫のように可愛がってくれた近所のばあちゃんが、庭に出した椅子に腰掛けてひなたぼっこをしていた。
齢も90を超え、だいぶ前から認知症が進んでいるばあちゃんは、もう挨拶をしても俺がだれだかわからない。昔はばあちゃんの手をさんざわずらわせたおてんばな孫たちが、今では週末になるとつきっきりで世話をしている。しかしばあちゃんの頭の中では、孫と自分の娘が時々わからなくなることもあるらしい。
一緒にいた俺の母親が「ばあちゃん、しっかりごはん食べてる?」と聞くと、ばあちゃんは「うん、食べてるらしいよ!」とにこにこして答えた。長年の苦労が刻み込まれた顔だけど、よく考えるとばあちゃんは俺が小さい頃から、いや、たぶん俺が生まれる前から、いつでもその顔に穏やかな笑みを絶やさない人だった。それが失われずに残っていることがとても嬉しかった。でもばあちゃんにはもはや、日々食事をとる自分と今ここで秋の日差しを浴びている自分とを、連続する時間の流れを生きる同一の自分として認識できなくなっているのだろうか、母の問いに伝聞形で答えていたのが少しせつなかった。
俺の着ている服の模様を見てばあちゃんは、「それ、あんた自分であれしたんでしょ、縫ったんでしょ。いいわね、いいわね」とまた笑った。ばあちゃんには俺の着ているものが和服に見えたようだ。若いころはとてもおしゃれで、着物が大好きで、よく自分で縫ったりもしていたそうだ。
「暴れたりはしないけれど」と孫のひとりが言った。「腕力というか、握力がすごくてね。しがみつかれると大変」
確か、生まれたばかりの赤ちゃんもそうなんだよな。
と突然うろ覚えの知識が浮かんできて、俺はそれを心の中でしばらくの間もてあましていた。ばあちゃんはずっとにこにこ笑っていた。