せすにっき

日記。2019年1月にはてなダイアリーから引っ越しました。2024年もそこそこ適当に生きたい。

きのうの読書感想文補足

筆者が「中大兄皇子は悪くない」という主張をしていて俺がそれに対して感想を述べているのであるが、ちょっと舌足らずなところがあるので、あとからこのあたりの知識をすっかり失念した自分が読み返して不自然に思わないように補足しておくことにする。
小学校の歴史の時間に習った図式は、

  • 蘇我入鹿=まったく横暴な豪族だぜフハハハハ!
  • 中大兄皇子(と鎌足)=入鹿を成敗してくれるゥ!そして健全な王政を!

というかんじであり、ゆえに645年のクーデターはすばらしき時代の幕開けみたいなイメージで俺の記憶に残っていたのだった。「蒸し米炊いて大化を祝おう」「朝廷の虫殺して大化の改新」などの年号語呂合わせもその刷り込みに一役買っている。
で、それだけを前提にすると、俺が本の筆者の主張を「中大兄皇子は悪くない」と要約して、しかしながらそれに関して全面的に賛同はしかねているのがいささか不自然に映るかもしれない。「いわば立役者じゃん、筆者の主張の通りじゃん」といつか俺は思い返すかもしれない。
しかしながら筆者の主張には、小学校の歴史の授業で習った上の構図から一歩踏み出して、こういうステップがあったのだよ未来の自分。落ち着いてよく読んでくれ。

  • 一般的には中大兄皇子中臣鎌足の悪党退治のように思われている
  • しかしながら日本書紀において皇子の行動記録からは怜悧、策略家といった人物像が読み取れる
  • つまり権力の座につきたかった中大兄皇子が自らの手で邪魔者を排除したという見方ができる

政治闘争のなか、ライバルを暴力で倒したというのは蒸し米炊いて祝うようなヒーロー誕生の場面と呼べるんだろうか?いや彼もあの時代に生まれたひとりの血塗られた権力者なのであろー。みたいな見解が、小学校社会科のはるか先には横たわっているらしい。学問の世界って俺の日常からかなり遠いところにあるんだなあ。
しかしながら筆者の眼はそこに疑問を抱き、さらなる文書の検証、考察へと進む。

  • むしろ変の首謀者は、このあと王位についた軽王子、のちの孝徳天皇だったのではないか
  • 中大兄皇子日本書紀では自ら手を下したと書かれているが、血で己の手を汚せば王の座は遠のいてしまうことを知っていたはずだ
  • 彼は実はその場にさえ居なかったかもしれないではないか

いや↑さりげなく書かれたこのくだりを読んだときにはかなりびっくりしましたね。はあ?まじっすか?俺はいったい何を信じたらいいんだあ!もうわけわかんねえ!ですよ。しかしながら

  • 日本書紀の記述から浮かび上がってくる彼の人物像をそのまま受け止めてはいけない、それが日本書紀が編纂された当時の権力者の意図なのだから、その意図を読み取らなくてはならない
  • すなわち日本書紀における彼は「作られた血まみれのヒーロー」であり、実像はまた別にある

「何が書いてあるか」ではなく「何のためにこう書いてあるのか」を探し出そうとするこの姿勢がとても興味深かった。でもやっぱり中大兄皇子が斬りかかったんじゃないのかなあ〜とは思いながら、読んでいる間じゅう、けっこうな刺激を脳味噌にビシバシと受け続けていたのでありました。
あと追記。昨日「心優しき」という表現を筆者が使っていたように書いたのだけれども、情けないことにすっかり記憶違いをしていたみたいで、今ざっと探してみてもこのフレーズが文中に見当たらない。「しかし、同時にやさしい側面もあります」止まりだった。うーむ、理解力に欠ける俺にとって、こういう思い込みが一番の敵だな。当該部分は修正します。