せすにっき

日記。2019年1月にはてなダイアリーから引っ越しました。2024年もそこそこ適当に生きたい。

法隆寺本読書メモ2

  • 山背大兄王殺害は鎌足の策略説こええええええええ!
  • 鎌足没年あたりの事件。落雷、法隆寺の火災は当時どのように受け止められたか。またその時期に中臣金連が祝詞を奏した土地「山御井」について。

これはふつう三井寺の泉とされるが、三井はひょっとしたら大和の三井、法隆寺の近くの法輪寺のある三井ではなかったか。
(175ページ)

滋賀県大津市の寺院。園城寺を参照。
奈良県斑鳩町の寺院。法輪寺を参照。

三井寺 - Wikipedia

三井寺と言う別名は、当寺のある三井の地名に由来し、付近に聖徳太子ゆかりと言われている3つの井戸があった所から来ている
(中略)
創建については、古くから2つの説がある。1つの説は『聖徳太子伝私記』(嘉禎4年・1238年、顕真著)に見えるもので、聖徳太子の子である山背大兄王が太子の病気平癒を祈るため、622年(推古30年)に建てた、とする。

法輪寺 (奈良県斑鳩町) - Wikipedia

で、最初の引用部分に戻る。鎌足山背大兄王殺害を裏で仕組んでいたという説、また「山御井」の場所についての「ひょっとしたら」このふたつが真実だったら、中臣氏の一員であり鎌足の従兄弟でもある中臣金連が聖徳太子、というかその息子の山背大兄王と関係の深い三井の地で神への祈りを捧げる、ということの意味がリアルに浮上してきて怖いっす。どう考えても、昔君のこと謀っちゃったけど呪わないでプリーズ!ってお願いしてるようなもんじゃないか。昔の人って神々とものすごい距離感近かったんだな。というか、「人が神になる」という発想を失ってしまった現代ってのが、日本においてはある意味孤立した時代であるというんだろうか。