せすにっき

日記。2019年1月にはてなダイアリーから引っ越しました。2024年もそこそこ適当に生きたい。

秋の遠足

一年半ぶりに野毛山へ出かけた。最初は新しい舶来インテリアストアに足を伸ばそうと思っていたのだが、駅のホームで空を見上げながら日にあたためられた脳味噌が言うことをきかなくなった。
新聞を手にしたグレーのブルゾン姿の男たちの群れに混じり改札を出る。途中で男たちとは別れて左手の坂を上り、こんもりとした埃っぽい緑を目にして、また来た、と思う。
コットンと合成繊維のジャケットであったがこれではまだ少し暑い。脱ぎたいのはやまやまだが下に着ていたのは袖のない衣服であった。あきらめてジャケットの袖をまくる。
なぜここへと思ったが、それはここ数ヶ月の自分の行動原理に少しも反してはいないことに思い当たり、いい歳こいてと少し、というかかなり恥ずかしく思いながら納得する。ここにいた長寿の象はしかし何年も前に死んでおり、象のいた辺りは芝生の広場となっている。ヒト放し飼い。
そうだ、鳥とカナヘビが見たかったのだ。ということにする。
爬虫類館に入りその蒸し暑さにうんざりとする。大きなヘビがガラスの向こう、とぐろを巻いた中に頭を突っ込みふて寝していて、平たいワニの子は赤っぽい電灯の下、池にぷかぷかと浮かんでいる。
カナヘビはガラスの向こうにはりつけられた小さな小さな水槽の中で砂にまみれて這っていた。その隣はニホントカゲの水槽だが、彼は、あるいは彼女はすべらかな体を傍らの大蛇と同じく渦巻状にたたんでこちらを見ていた。
カナヘビというのはヒトに慣れやすい、と児童向けの図鑑にあった。餌にさえ気をつけてやれば飼いやすい生き物だ。ミルワームが一匹水槽の隅で体をくねらせているのを見て、ああ、これを与えてやればよかったのだと昔を思い出していた。
前にも書いたが、カナヘビの顔はシマリスにも似て愛嬌がある。やせた体をよく動かして、見ているこちらに近づいてきては、立ち上がろうとするかのように腹を見せて細長い指でわしわしと水槽をひっかく。実にかわいらしい。写真を撮ったが、暗いせいかうまく写らなかった。
鳥を見に行く。カグーだ。
改修前の鳥舎ではガラス越しに間近に姿を見ることができたが、もともとは臆病な鳥だ。以前目の前で後頭部のグレーの毛を逆立てて見せてくれたときには自分も鳥になれたような気持ちがしたが、今はその身体はもう、柵の向こうに遠い。日なたへ出てくればいいのに、一番奥で腰を下ろしたままであった。
ちびっこふれあいコーナーでしばしチャボと戯れて、それから横浜駅に戻りプリンを買って帰った。歩き疲れて、各駅停車が揺りかごのようでもあった。