せすにっき

日記。2019年1月にはてなダイアリーから引っ越しました。2024年もそこそこ適当に生きたい。

普段見ないテレビ番組を見ると結構おもしろい

視聴者投書の再現ドラマ、みたいなのをやっていた。マイホームを購入し、夫と自分、それぞれの母親を招いて同居することになった女性の悩み。
自分(嫁)の母親は人付き合いを苦とせず家族団欒に溶け込むことができるタイプ(もちろんそれなりにかなりの気遣いをしている)なのだが、夫の母親はその対極のタイプ。マイペースで自分ひとりで食事を作り食べ、にぎやかな場に加わることを嫌がる。嫁が買い物に誘ってもつまらなそうな顔で断る。そのうち挙動がエスカレートしてきて、みながリビングで笑い声を立てれば血相を変えて飛び出してきて「うるさい!」と怒鳴る。嫁の姉が訪ねてきても挨拶も返さない。挙句の果てに家の中で転倒した嫁の母親を助け起こすどころか、「このまま死んじゃえばいいのに」と暴言を吐き、やがて「あんたたちに家を乗っ取られてたまるか」と鬼の形相を見せ、亀裂を決定的なものにしてしまう。
ああ、こういう人いたよ、うちにも。うちのファーザーがそうだった。
でも今ならわかる気がする。この人にとって、「平穏で幸せな暮らし」というのは、みんなそろってごはんを食べ、テレビを見て談笑し、嫁たちと連れ立ってデパートに出かける、そういう生活をさすのではないのだ。自分は空気のようにそこにいることを許されさえすればそれでいい、そしてそれ以上のものはいらない、欲しくない、たとえささやかな気遣いであっても、息子夫婦の家に住まわせてもらっている自分には重荷でしかない。いっそ放っておいて欲しい。でもそれは相手に伝わらない。相手は自分ともっと色んなものを共有したがっている。それが家族だと信じているから。でもそれは自分の負担になる。無理して笑顔を作り団欒に加わり、相手が満足すればいいのかもしれないが、それでは自分の平穏が保てない。
家族というものがお互いとるべき距離感、というものさしを、共有できないのだ。
嫁の母親もひとつ屋根の下、というのが状況を悪化させた。朗らかな彼女には孫が懐く。夫婦とその子供、そして嫁の母親、一家が楽しそうに時を過ごしていて、そこに自分は入ってゆけない。自分の生活を少しだけ彼ら寄りにすればいいのだけれど、きっと自分にはうまく歩み寄ることができない。ひとり放って置かれているだけなら不満はないが、彼らの暮らしが、笑い声が、自分の領域を絶えず脅かす。やがて不要とみなされた自分はここでの居場所を失うことになるのではないか、そんな恐怖感。
このマイペースな母親はその後家族の中でどんどん孤立感を深め、自分から壊れていってしまったのだ。