せすにっき

日記。2019年1月にはてなダイアリーから引っ越しました。2024年もそこそこ適当に生きたい。

まざーーーうううーーー

母親が観たがっていた映画目当てに、二人で本牧へ出かけた。

メリーさんを初めて見たのは、20年近く前の横浜みなと祭、国際仮装行列のコースとなっている馬車道の片隅だった。真っ白な顔、真っ白な服の老女がじっとパレートを眺めている。仮装行列の参加者だと思っていた。だってどう考えても普通の見物人はこんな格好しない。その後、横浜市内に住む親類から、彼女が戦後の横浜と歩みをともにしてきた伝説的な娼婦であった、あるいは娼婦であることを聞かされた。
それから伊勢佐木町へ遊びに行き何度も彼女を見かけた。森永ラブで昼飯をとると高い確率で彼女の姿を見ることができた。姿かたちだけを見ると、すれ違いざまに思わず振り返ってしまうほど異様なのだが、そんな彼女の小さなからだが風景のひとつとして溶け込んでいる、ひと昔まえの伊勢佐木町はそんな不思議な街ではあった。今もそうだろうか。だが森永ラブはその後バーガーキングになり、そしてその店もやがてなくなってしまった。メリーさんが通っていた美容院も、世話好きなおかみさんのいるクリーニング店も、今はもう無い。
上映されたドキュメンタリーでは、彼女とかかわりのあった人たちのインタビューや、界隈の移り変わるさまがよくわかる写真などの資料などが絶えず織り交ぜられ、メリーさんという一人の女性の姿を通してヨコハマという街の戦後がそこに描き出されていった。母親は「根岸家行ったよ。おかまがいっぱいいたよ」と懐かしそうにつぶやいていた。これは米軍関係者で賑わっていた時代からは少し後になるのだろう。お座敷芸者であった五木田京子が今もなお三味線を抱えて発する低く張りのある声には正直鳥肌が立つほどの迫力があった。
映像の中では元愚連隊のおっちゃんが楽しそうに当時を振り返っていたりもして、その時代を知っている人にとっては見るだけでも本当に感慨深い映画だったろうと思われた。自分が一番心をひかれたのは、メリーさんと親交の深かったシャンソン歌手の永登元次郎氏の人生について、彼自身が語っていたなか、自らの母親について言及するところだった。
女手ひとつで子供を育ててきた母親がやがて生きるために、母親ではなく一人の女としての匂いにまみれてゆく。多感な年頃になった息子がそんな彼女に憎悪ともいえる念を抱くのもよくわかる。いや、よくわかるといってもきっとその想いの中で感じたであろう苦しみについては想像することしか自分にはできない。ああ、そんな風に罵倒してしまいたくなるほど、彼女を失いたくない、彼女に見捨てられたくない気持ちが強かったんだろう、と理屈から想像してみることしかできないのだが。
後年、そんな母親と同じ業を背負ったメリーさんに出会い、彼が寄せた思いとはどのようなものであったか。そのあたりが、山崎洋子の語るもうひとつの外国人墓地のエピソードとともに自分の心に残っている。
作品中、永登氏が「マイ・ウェイ」を歌う場面が何度かある。その最後の「マイ・ウェイ」が流れるなか、カメラがゆっくりと動いて映し出す姿に、観客がどよめいた。ああ、賑わうイセザキモールをゆっくりと横切る白い姿は晴れ着でもあり、仮面でもあり、そして鎧でもあったのだ、と改めて思う瞬間だった。
追記。「横濱ローザ」という、メリーさんをモデルにした一人芝居を毎年上演している、横浜出身の女優五大路子氏も出演していた。芝居のラスト、舞台を降り退場していく彼女に向かい、観客は劇中の人物名「ローザ」でも、演じている「五大さん」でもなく、「メリー」と呼びかけるのだという。五大氏はそれを、メリーさんの存在の巨大さのあらわれとして語っていたが、観客たちのその呼び声は、一人の女性の波乱万丈な人生を演じきった女優への最大の賛辞であると思っていいんだろうな、とふと思った。
※ネット上にはこんなコンテンツもあるです。
http://www.k2.dion.ne.jp/~dambala/top/merry.html