せすにっき

日記。2019年1月にはてなダイアリーから引っ越しました。2024年もそこそこ適当に生きたい。

晩飯

黒っぽくてシックな店内、もしかしてオサレ系ラーメン屋だったか?と思ったら案内された席の目の前に厨房への入り口が面していてその床の上にはビールケースのたぐいが雑然と積まれており、館内BGMがテナントであるこの店の奥まで十分届いているのに同時に店内ではぜんぜんジャンル違いのポップスをジャカジャカ流していて、しかも安いスピーカーなのかジャカジャカよりむしろシャカシャカというヘッドホンからの音漏れのように聞こえてはなはだ場末気分が盛り上がる。これは日曜の午後とかに来て競馬新聞片手に食う店っぽいかんじだ。俺にはこのほうが落ち着く。
ラーメンはうまかった。真っ黒い油をたっぷり浮かせたスープは塩辛いけれども飲みやすい。麺の固さ太さ歯切れのよさ、バランスよく俺の好みのど真ん中。また来る。

ハードディスク買ってきた

俺にとって2台目のパソコン(愛称:チャンダナ)の調子がへんになった。まああんまり丁寧な扱いはしてないし、状態をろくろく確かめずに買った超お買い得品の中古だから元はとりまくりだと自分では思っているのでショックではないけど、前回のムラマサ(愛称:静「しず」)のときに比べるとものっそ派手な壊れ方だったからびっくりした。最初はなんとなく、な幕開け。2回に1回はうまく立ち上がらない。で起動しても妙に動作が重くてしかたない。そのうち妙な音がしてきてブルースクリーン。何度か起動を試みたり復元ポイントをナニしながらなだめなだめてやっとまた再起動。こりゃなんかやばいな、ととりあえず、再起動とブルースクリーンとブラックアウトを何度も繰り返しながららくがきとか写真とか好きなページのアーカイブとかをメディアに移して、あーそうだメールデータもセーブしなくちゃ、と思ったとたんに異音がガガガガガと大きくなり、突然きゃわわわわ!きゃわわわわ!とものすごい音をたてはじめた。チャンダナが!チャンダナがきゃわわわわ!なんかかわいいじゃねえか!とか笑ってしまったがさすがに異常事態なので電源強制OFF。しばらく待って再び電源ON。きゃわわわわ!きゃわわわわ!あわてて電源OFF。うーむ、これはあれだな。もうだめだ。物理的にアレしてしまったとみえる。ためしにもう一度電源ON。きゃわわわわ!きゃわわわわ!きゃきゃきゃきゅきゃわわきゃわきゃわわわぎゅーん!きゅきゅーん!はきゅーん!オーマイガッ。電源OFF。
しょうがないのでCドライブにアクセスできなくなり起動不能に陥って2年近く経つムラマサの静を起こすことにした。この子もHDがおかしくなったので裏カバーをオーポンして取り外してあったのだがそのまま放置していた。この子は今回みたいに電源ONしてもきゃわわわわ!きゃわわわわ!とか言い出したりはしなかったし、外付けキットに接続してみても本体で正常に動いていたときと同じようなタッシャン、タッシャンというかよわい音を立てるだけだったから、とりあえずリカバリしたら動くだろうなと踏んでムラマサ本体に戻す。リカバリかけたらあっさり動いたので安心して日記を書いている。
こういう事態に陥るたびに思うのは、なくなった分のデータは惜しいには惜しいんだけど、無くて心底困るようなものはローカルにはあんまり持っていないんだなあ、ってことだ。まあ、旅の写真とかは消えればそれなりに悲しい。でもどっちかというと、もし万が一はてなになんかあって日記のログが全部消えたりしたらその方がショックだろうなあ、と思う。
とりあえずでっかい画面に慣れた目には静のディスプレイに打ち出されていく文字が小さすぎてきっついので、チャンダナを早めに復帰させる方向で。よーしパパHD交換がうまくいったらメモリもまた増やしちゃうぞー。

そういえば

この前NHKでウィルスの話をやってて面白かったのをふと今日思い出した。たぶん爆笑問題のどっちかがポコッとそれらしき指摘を口に出してそれが記憶に残っていたんだろうけれど、あれはウィルスの話をしているようにみせかけて人間とか生命そのものについて語っていたんではなかろか。たまに発生する恐ろしい伝染病、しかし宿主を殺してしまうような凶悪な性質はそのウィルス自身にとっても命取り。だからこれはウィルスにしてみたら失敗も失敗、きわめてイレギュラーな事例であるさうな。ではウィルスは世代を重ねて生き延びて繁栄することを、種としての自己の目的としているのか?そのために次々と「へんなやつら」を生み出しているのか?それを前提として進められているようにもみえる問いかけにその道のエライ人はなんとなく、ちょっとそれもちがうんだよと言っているような気がした。別に生きたいと志向しているわけでもなく、たまたま生き残ってきたから、生きてる。その中からまたへんなやつがあらわれて、そういうへんなやつが一方では水を得た魚のように力を得て、一方ではうまく生き残れなくて死に絶える。従来の性質を受け継いだままのものも、宿主を含めた周囲の環境が変われば消え去る運命かもしれないし、そんな変化はまったくといっていいほど起こらなくてずっとずっとワンダーラン、な事例もあるかもしれない。でもかれらはそうやって種として残っていくことを使命として負っているのかというとそうでもない。でも生きてる。なんのために?とか考えることもなく。それがとても泡泡チックで、素敵。気負いもなく、焦りもなく、希望も絶望もなく。