せすにっき

日記。2019年1月にはてなダイアリーから引っ越しました。2024年もそこそこ適当に生きたい。

おはようございます

昨日挙げた「鬼の研究」四章 「天狗への憧れと期待」からメモ。

かつて、源氏の沙那王(牛若)に兵法を授けて、平氏専横の時世のしたたかな叛乱者に仕立て上げようとした鞍馬の僧正坊や北条氏執権の政治不在に「ヨウレボシヲ見バヤ」と不吉な予言を投げつけてきた天狗の魂の伝統を、この乱世正統派の天狗のなかにどのように認めてゆくべきであろうか。すでに、すっかり山伏化をとげてしまった天狗は、天台と真言の山に大別され統率される運命のなかにしか生きておらず、ほんとうの自在な空間を失っていたのである。(引用者略)ここには、観念世界に広がる無限の空間を失った天狗の悲哀と堕落がある。

乱世という、下克上そのものが体制となった時代に、天狗はいつのまにか山の組織とつながる末端となっていたのであり、その反骨精神の伝統は利用されるものとしてのみ存在した。反体制魂の特権は、そのころすでに生活のなかの危機感から立ち上がり行動する、中・下層の武士階級のなかに移りつつあったと見るべきであろう。

あと、へんな夢みた。
大きなショッピングモールを核とした街に住んでいる。これも団地というのかなあ、いやその言い方は古いなあ、ニュータウンかなあ、いやそれはそれでなんかひと時代前だなあ、いや、人の集まるところはたえず泡のようにぼこぼこ沸いては古びていくもんだしなあ、呼称をここで考えてもしかたがない。
その中に学校があって、俺はそこの落ちこぼれ生徒である。本人は授業を受けたいのに、いつもどうしてか遅刻をして教室に入れてもらえない。
聡明なおにゃのこと知り合う。俺は知らなかったがクラスメートであった。彼女の授業のノートはとてもわかりやすく、俺は全共闘のこととかを教わってふむふむと感心する。しかし彼女は俺のことをただへんな落ちこぼれとしか見ていないのが悲しい。事実なのでしょうがない。いつかドーナツをおごってあげようと思ったところで目が覚めた。