せすにっき

日記。2019年1月にはてなダイアリーから引っ越しました。2024年もそこそこ適当に生きたい。

読み終えた

鬼の研究 (ちくま文庫)

鬼の研究 (ちくま文庫)

これはマジよかった。まず、筆者の人の、鬼への愛を感じるね。愛だよ愛。それから、文章が読みやすい。俺の読めない固有名詞や古典芸能の用語だけでなくそれらに混じって「〜といえよう」「したがって、」「ことに」「〜とみるべきである」というような語が多く、このように文章を成すパーツひとつひとつを抜き出してみると学術的で硬めで小難しそうな印象があるのだけれども、でも引き込まれていく。これらがするすると糸を通された白珠のように連なっていくさまはマジックなりよ。歌でも歌っているかのようなリズムのある文章なりよ。あれおれいまなぜコロ助
なんだか読んでいる間じゅうずっと、古典文学超大好きな優等生メガネっ子(当然図書委員)と修学旅行で同じ班になったみたいな、そんな感じだった。旅館の部屋で夜、枕をつきあわせて一晩中しゃべりまくってるメガネっ子。俺はただただ聞き入っている。知識がないので彼女の話す歴史や古典芸能の話が半分もつかめないのだが、ただその勢いと声の美しさに聞きほれている、というイメージ。うむ、せっかく色々勉強になることが書いてあるのに、そっちはちっとも頭に入っていないことがよくわかります。とほ。説話とかもっとちゃんと読んでから再読しよう。
能・謡曲に登場する女、あるいは鬼女、般若の内面を、その筋書きを辿り、あるいは面という様式化の象徴を通じて丹念に見つめ直す終章近くの文章群がいちばん圧巻だと思った。能楽謡曲への愛も感じるね。愛だよ愛。個人的にはお能なんて観に行く柄じゃねえのですがやっぱり「葵上」とか見てみたいなあと思った。DVDとかあるんだなあ。
般若の面に表されるような、苦悶のすえに人としての己を捨てざるをえなかった女性の成れの果ての姿としての鬼、というくだりには上記のようになみなみならぬ作者の熱さを感じてよかったです。これはきっと作者自身が、自分の内面にその萌芽を、いつ開くともわからない蕾のようなものがあるのを絶えず見つめながら、そしてそのことを時には薄哀しく感じながら、それに耐えつつ生きてきたからなんではないかなと思う。超かっこいい。ハードボイルド。え?