住んでいるマンションで孤独死案件が発生してからもう1年が経った。単身者向けであるうえ住人の入れ替わりが激しく住人同士の交流のほとんどないこの物件では条件的にいつ発生しても不思議ではないと思っていたのではあるが、事情を聞いて回っている警察官の訪問を受け、自分がその部屋の住人について何も知らないということを警官に伝えるとき、いくばくかのうしろめたさのようなものを覚えたのは事実であった。しかし一方で、当然のことが起きたまでだ、自分はうしろめたさを感じている振りをしているだけなのだと自分を見下ろす視点も間違いなく自分の中にあるのだった。そしてなにより、その時自分がいちばん強く思ったのは、うしろめたさでもなく、恐怖でもなく、ただただ「自分もやがてこうなるということを前提として生きるのだ」ということなのだった。
あのとき、警官の周りを、現場の部屋から飛び出してきたと思われる大きな蠅が何匹か飛び交っていた。埋められもせず、焼かれもしなければ、もう生きていない人体はまた別のやりかたでその形を失っていく。すべて片づけられた後もそのにおいはしばらく残るが、やがてそれよりも強烈な薬品臭にかき消されるようにして存在を失っていく。薬品の臭いもまだ消えない頃にその部屋には借り手がついた。そして気が付くと1年が過ぎていた。