せすにっき

日記。2019年1月にはてなダイアリーから引っ越しました。2024年もそこそこ適当に生きたい。

夏バテ日記

食欲あったりなかったりの波がここのところ続いて鬱陶しいので、ついに近所の小さな医院に行ってきた。待合室は静かだけど混んでいて、そして患者の中では自分が一番若かった。
昨日が休診日だった分混むだろうなと予想して、持ってきた本を読んだ。この前買ったやつ。そういえばおすすめされてて当初買うつもりだった本は結局地元の本屋を回ってみても置いてなかった。アマゾンで注文するか・・・。
読み始めた本はこれ。

流言蜚語 (ちくま学芸文庫)

流言蜚語 (ちくま学芸文庫)

まだ最初の方しか読んでないけど、原発事故以降おいらがネットで見聞きしている人の動きや騒ぎに一部は当てはまるけど一部はそうでない、ってかんじなのかな。新聞やラジオはあったけどネットはもちろんなかった時代に書かれた本。印象に残っているくだりをメモ。

知識がいかなる場合にも一歩ずつ進んで行くのに反して、信仰は不断に飛躍を含んでいる。知識が当然間隙として残すようなものも信仰は一挙に飛び越えてしまう。知識の能力の外に立っている多くのことを、信仰は容易に成就する。

ちなみに「信仰」と書いてはあるけども、著者は

信仰と言って悪ければ、信頼と言い換えてもよい。

と補足している。
2時間待って自分の番が来た。最後に医者にかかったのは3年前だったかな。いや歯医者にはそれからも行ったな。初めて見てくれる医者と世間話をしたり、薬の種類を説明してもらったりしているうちに思った。病状や原因や薬の成分などを医者は詳しく説明してくれている。医者の知識は自分にとっても非常に有用な知識なのだが、自分にとって一番しみじみとありがたく思えるのは、それらの知識よりもむしろ、信頼できそうな医師に当たってよかった、という実感なのだった。医者をはじめ知識のある側の人間が「信頼を得る」ということは、かれらに頼る人間からすれば当然「信頼できる相手を得る」ということで、結局、媒体がワヤになっている今のこの状態で知識だけをうまく世間に広めるってのは難しいよね、と思う。