せすにっき

日記。2019年1月にはてなダイアリーから引っ越しました。2024年もそこそこ適当に生きたい。

読み終えた

火葬の文化 (新潮選書)

火葬の文化 (新潮選書)

ヨーロッパの火葬事情については、イタリア発の火葬推進運動がプロテスタントや反カトリックの地域で盛り上がっていったんだけどとりあえずイギリスの火葬率が一番高いよ、あとイギリスの霊園には散骨用の場所があったりするよ、イギリス進んでるよ、というぐらいの認識しか未だになくて、先日ふと興味を持ったドイツのアノニューム墓地だとか、納骨堂と霊廟の違いだとか、火葬普及以前の各国または火葬が結局あんまり普及していない諸国ではどんなもんだったのかとか、そのあたりを知りたくて開いたのがこの本。
うむ大正解。
ヨーロッパの火葬事情が時間軸/国や地方という空間軸双方でもって網羅されているという感じ。網羅といっても細かく取り上げているのはイギリス、ドイツ、イタリアなどもちろん火葬の導入や普及に比較的積極的だったところに限られるのではあるけれども(イタリアの場合、運動はごく一部で早くから盛り上がったのだけども民衆には浸透せず、結局火葬率はあまり上がらなかった)、その分同じ国内での火葬場ごとの特色、地理的事情との関わりまでもきっちり説明してくれているので、異国のよくわからん習慣が時代とともに移り変わっていくさまが自分にも納得できる形で頭の中に入ってきて、今までなんとなくしか覚えていなかった事柄が一連の流れを象徴しているものであったりと、記憶の整理にとても役立つ本だった。
先日読んだ「世界の葬式」(asin:4106004070)同様、執筆からもう数十年が経過しているから、現在の状況はまた変わっているかもしれないけれど、読んでなるほどと思ったところを2、3メモしておく。

アフター火葬オートメーションの巻

欧米式の火葬においては儀式の一環として遺族が拾骨を行うという習慣がなくて、火葬後の砕骨処理などの後骨壷などの容器に遺灰を納める作業は大体火葬場の担当者が行っている、というのはこの前ネットで調べて知ったのだが、この本によると、少なくともヨーロッパの火葬場では骨壷に灰を入れ、名前などの情報を記したプレートなどを取り付け、蓋をする工程まで機械化されている場合があるようだ。また、砕骨処理については、金属球を使う方法に代わり今は粉挽き方式の機械も導入されているという認識でいいようだけれども、この本では新型の機械については触れられていないので、筆者が調査した当時にはまだそのような機械は開発されていなかった可能性もある。いずれにせよ、旧式の、金属球を使った砕骨法というのを俺はかなり勘違いしていて、ボウリングの球ぐらいのでっかいボールを狭い空間内で勢い良く転がして骨を砕くというむっちゃ規模のでかい装置を想定していた。本の解説によれば、焼骨が載った受け皿の中に、直径3センチぐらいということはピンポン球よりも小さい金属製のボールをいくつか入れ、受け皿を揺らすことで遺骨を細かく砕くという仕組みであったらしい。

土葬に関する勘違いが解けた&新たに疑問ができたの巻

英語版Wikipediaにある記述では、イギリスでは墓地不足から「二階建て埋葬」を提言する政治家もいる、なんてことが書いてあったので、俺は「うおおおイギリスだからバスみたいに二階建てにしようぜってことか!なんと合理的でドライな!」と感心した記憶がある。しかしここでイギリスゆかりの乗り物の呼称が持ち出されているからといって、これが現代イギリス人の独創的なアイデアであるというわけではないみたいだ。この本で紹介されている、ドイツの例ではこんなかんじ。

二十世紀初頭以来ミュンヘン市営墓地の土葬家族墓所は墓棺を二重にかさねるのを原則にした。

でね。俺、Wikipediaアメリカの棺桶業者のサイトばっかり見ていたから、欧米での土葬っていうのはもれなく「亡骸をおさめた棺桶+雨などの浸入を防ぐ外棺」とセットになっているものだと思っていたんだ。棺に土をかけて埋めてしまい、遺体が腐敗しても、棺はそのまま朽ちずに地中に残っているものだって。でもなんかこの本に挙げられている例をみるとちょっと違う場合があるみたい。

ただし、ミュンヘンではそれぞれの墓棺の最低安眠期間は七年である。七年以上経過すると、家族墓所を掘り返してあたらしい墓棺を埋葬できる。中断期間のながいときはともかく、七年ぎりぎりのときは木造の墓棺はくちはてて土にかえったとしても、当然骨片のいく分かは残っていることが予想できる。そのときは作業員がすぐにかごに集めて、あたらしい埋葬準備完了まえに家族墓所の最底部の下に改葬する。

うおおお。知らなかった。掘り出して一番底に埋めるのか。
ちなみに近代におけるミラノ無産階級の土葬の場合。

火葬にもあるていどの金がかかるとすれば、無産階級の死後のすみかは市営墓地の共同埋葬地しか残されていなかった。個人単位で死亡順につぎつぎと土葬にされる。石碑の類の建立は許されない。せいぜいで木製の墓標もしくは十字架である。墓地の条件にもよるが、何年かのちには掘り返され、肉が腐敗してしまったあとの骨片は納骨堂におさめられる。掘り返されたあとには、同じく無産階級の墓棺がもちこまれる。ミラノでは一八九五年開園のマッジョーレ墓地(五二ヘクタール)の一角にそのような共同墓地と納骨堂が造成された。

「土に埋める」という行為は、あくまでも遺体を骨へと変えるための手段になってる。いや、腐る部分だけでも土に還そうという目的なのかもしれませんが。骨になったら掘り返されて別の場所、しかも土の中じゃなくて納骨堂という空間に移されるわけで、上記ミュンヘンの家族墓所よりもさらになんだか「ゆっくりとした火葬」的色彩を帯びているような気がする。

つか、土葬って一言で言い表せないものなのかもと思ったの巻

以前Wikipedia英語版の「火葬」の項を見ていて、2つの単語の違いがよくわかんなかったのね。"mausoleum"と"columbarium"。でも今回違いがわかった。
前者は土葬の際に遺体を納める構造物のこと。「霊廟」というのが一番しっくり来るかなあ。石造り、あるいはコンクリートの建物を造って地下および地上に棺を安置するスペースを設けたもの。多分代々続く名家とかで経済的にも十分余裕がある一族向けとかだよね。なので古くから運営されていて土地不足に直面した墓苑では後年、誰も訪れなくなり新たな死者の納棺もされなくなったモーソリウムを改造して、納骨堂に転用したりなんてこともしているそうな。でもこれ、土葬か?土に埋まってないやん。すげえ違和感。モーソリウムを建てるほどお墓にお金はかけられないよ、でも共同墓地で赤の他人の後に埋められて骨になるのはイヤだしそこまで貧乏じゃないよ、という人たちは、石造りの地下墓室をもつ家族墓所を設けたりしたようだ。
後者、コロンバリウム("columbarium")は火葬の人向けの施設。自分は確か納骨堂と訳したはずだけど、この日本語だとその特徴的な構造について伝わりにくくてアレだ。もともと「鳩小屋」という意味だったのだけども、上層階級の間で火葬の習慣があった古代ローマ時代には既に、焼骨を納めるための間仕切りがついた納骨設備をさす言葉として通用していたらしい(その骨壷を納める個々の空間を"niche"、壁龕と呼ぶ)。近代につくられたコロンバリウムの写真を見ていると、不謹慎ながら頭の中でコインロッカーとだぶる。
いずれにせよ、かつては土葬がほとんどだったらしいヨーロッパの葬送事情なんですけども、いざ見てみると、土葬の概念自体が想像とはずいぶん違ったものだったのでべっくらこいたです。ていうかほんと、モーソリウム、土葬なのそれ。どうなの。もしかして日本語の「土葬」を当てるのが間違いなの。と思ってしまう。納葬とか棺葬とかそんなかんじだよなあ。だってそれじゃ下手するとエジプトのミイラも土葬のうちに入っちゃいそうな気がするもん。そういやあれ、日本語で表すとしたら何葬っていうの?乾葬?

骨壷埋葬への抵抗

近代ヨーロッパでは、火葬が行われるようになってからも長いこと、遺骨を地中に埋めるという選択がとられなかった。というか、火葬を選択する人はみな遺骨の埋葬を拒否したらしい。
これもとても不思議。筆者も理由を挙げながら「かならずしも判然としないが」と断定はしていない。俺もよくわかんない。
でも、だからといってコロンバリウムへの納骨一辺倒なのかというとそうじゃなくて、やっぱりそのうち遺灰の埋葬も行われるようになってきた。イギリスじゃいつの間にか散骨用のスペースが墓地に設けられてるし、ドイツではアノニューム墓地なんていう、日本人から見たら無縁仏用みたいな区画への遺骨の埋葬がかなりの割合を占めるようになってるし、土葬の定義についてもそうだけど、骨の扱いとその根底にある考え方にはやっぱ色々と日本とは明らかに違う部分がたくさんあっておもしろい。
 
他にも色々気になったのだけどとりあえずこんなもん。この人の文章って読みやすいから火葬関連じゃない著書も読んでみたい。あと、アリエスっていう人のこの本、読んでみたい。

死と歴史―西欧中世から現代へ

死と歴史―西欧中世から現代へ

それから、火葬とか土葬とか書いてるうちにふと思ったんですが、火と土と言われたらあとは風と水だよね。風葬も水葬も日本語の辞書にあるんですよ。日本語ってかっこいい。(四大精霊的に)