超へんな夢みた。
アメリカの金山での生活を始めてまもなく、日本でしていた仕事の内容について電話で叱責に近い問い合わせを受ける。自分も聞かれて思い出したのだが何かの伝票の項目を書き換えて提出し、監査を免れていたのだった。が、その社内では上司の命で普通に行われていたものであり、どうして自分の書いたその伝票だけが問題になっているのか見当がつかない。出るとこ出るなら皆様に、これがいつから行われていたのか、指示者は誰か、とか他のこともぜーんぶお教えしないとね♪とうきうきしつつ、とりあえず腹が減ったのでいかだで渓流を下っておでん屋に行く。
ちなみにこのアメリカでは、おでんは関東だきと呼ばれている。ゴールドラッシュの時代に拓けた古い町の界隈はやたらと坂の多い地域で、その中におでん坂という急な坂道があり道の脇10メートルおきくらいに、屋台から車輪をむしりとって代わりにベニヤの外壁で囲ったという体のおでん小屋が、ぽつん、ぽつん、と建っている。今書いていて思い出したが、横浜ビブレの川向かいの、警告看板をものともせずに並ぶあのおでん小屋群、あれがもっとまばらになったような感じの界隈だ。
そのうちの一軒にふらりと入る。はじめての店だ。牛すじ、卵、大根と注文しふと店主の背後を見ると、天井まで届く高さの大きな冷蔵ケースが設置されていて、ガラス張りなもので中身が全部判る。そしてその中に、棒状の生肉がうずたかく積まれているのに気が付いた。棒状というか細めの丸太状で、こちら側を向いている赤い断面の中心部には白い骨も見える。ずいぶん細長い肉だ、何の肉だろうと奥行きのある冷蔵ケースの中の方を懸命に覗ってみる。肉は多少の凹凸はありつつも先にゆくにつれだんだんと細くなっていて、末端には棒の向きに直角に付いた、細開きに開かれた扇に似ている部分があり、扇の先端には5本ずつ小さな指がついていた。与えられた視覚情報から鑑みるにつまりこれは人間の肢の肉であり、このおでん屋は人肉おでん屋なのだった。
おでん坂のおでん屋は店ごとの個性が強いと聞いていたが、まさかこんな店があるとは思わなかった。メニューにそれらしいものは見当たらなかったがもしかしたら今噛んでいるこの牛すじも実はそうなのだろうか。普通に美味い。
しかし俺はその美味しさを大げさに褒めたりすることができずに店主の機嫌を損ねてしまった。怒りを買った俺はなぜかそのおでん屋のカウンターに女将として立たされてしまった。肢を調達する側になってしまったではないか。調達に失敗したらどうなるかというと、BE IT YOURSELFなのである。
どうしようどうしよう、と悩んだ挙句、俺はその店からあっさり逃げ出した。なぜか店主がカウンターの中で死んでいるが、この際気にしない。さて呑み直そう、と隣の店に入る。そこは普通のおでんを出す店だった。練り物がうまい。しかしなんだか店主の夫婦揃っておかしな宗教に入れとしきりに勧めてくる。この地域に割と根付いている宗教らしい。大きなダルマを渡される。
外は快晴で、ボウリングの球ほどの大きさの木製ダルマを両腕で抱えて俺は坂を下っていった。途中に町の集会場があり、ガラス張りの引き戸から中が丸見えなのだが、そこでちょうどこのダルマ教の寄り合いが行われていたので様子をうかがった。中にいる信者の女性が鍋蓋のようなものを捧げ持っている。大きな盃か椀のようにも見える。実はダルマの頭頂部の小さな突起を持って引っ張るとそこがポコンと外れ、椀状の道具としてこの宗教の礼拝中に用をなすのであった。
俺は車が通らない時を見計らって抱えていたダルマを道の真ん中に置き、坂の下へ向けて勢い良く蹴り飛ばした。白昼、まぶしい光の降り注ぐ急坂を、赤と金のダルマはボンボンとバウンドしながら勢い良く転がっていった。