せすにっき

日記。2019年1月にはてなダイアリーから引っ越しました。2024年もそこそこ適当に生きたい。

晩飯

ゆうべの日記を書いて送信したのは覚えているけど、まさかこんな意味不明なことを書いていたとは…。そんなに電波なフレーズを書くぐらいなら普通にサボればいいのに、まっこと日記脳なおいらでござる。
NHK大河ドラマ、最初の2回目ぐらいまでは、なんという腐の人向け度の高さであろうとか思ったのだけど、この前見たときはなんだかちょっと当初予想していたドキドキ感が心によみがえってこなくて我ながら意外である。まあそもそもここ20年は腐女子系じゃないんですけど俺。
主人公の子供時代をやってた子があまりにも神すぎて、その後ドラマがいきなり青年時代(少年晩期というべきなのか?)に飛んでしまったために自分が全くついていけずに戸惑っているというだけなのかもしれないなあ、と考えてみたりもしたんだ。あの子マジ神ですから。あのタラちゃんヴォイスとか。神ヤバイマジヤバイ。で、神と現在の主人公のあいだに連続性がないのか?それで違和感を覚えてるのか?というと全然そんなことはないんだよ。泣いても笑っても妻夫木さんの表情は素晴らしく、神がオトナになったらこんなかんじですよきっと、と納得させられること100%である。全然関係ないけど妻夫木ってなぜかずっと「めおとぎ」と読むと思ってた。
そう、その完璧な連続性こそが落とし穴なのだった。俺は多分、何のてらいもなく子供のように泣き顔を見せ笑い顔を見せるめおとぎさん(誤読)が不思議でならないのだ。なぜかというと俺の認識では、幼年期から青年期の間には誰もがハマる泥の沼があって、そこで誰もが、例えばガンダムパイロットでありつづけていいのかとかあるいは逃げちゃだめだ逃げちゃだめだ逃げちゃだめだとか、そういう悩みに足を取られて泥んこまみれになっているはずなのだ。そこを超えて青年になりかかっているはずの主人公の笑顔泣き顔に、俺は確かに眩しさを覚えはしたものの、そこにまったく泥沼の痕跡を見出すことができなかった。まるで子供時代のまーんまじゃねえか。しかも戦っていいのかとか己に問うこともなく、普通に武士として前向きでひたむきであることこの上ない。そこになんというか、しいて言うなら物足りなさを感じてしまったのだった。話は飛ぶけど昔、アニパロに独眼竜政宗の二次創作が載ってたよね。