せすにっき

日記。2019年1月にはてなダイアリーから引っ越しました。2024年もそこそこ適当に生きたい。

身勝手な羊

普段通らない界隈に用ができたので、ぶらつく。どうしようもない人間のアレをあちこちで見かけてしまったりとかのここんところのいきがかり上、機嫌は非常によろしくない。なのに陽射しはあったかくて、空もここを歩き始めた途端にスカッと晴れて青々としちゃったりなんかして、非常にかわいくない。そうですね。俺がブルーだと世界はご機嫌なんですよね。と考え出すともうキリがないのでひと気がないのをいいことにほんとに涙目になりながらそれでも歩いていくと目の前にこんな光景があった。

なんじゃありゃ。この距離であんだけ目立つんだからかなり巨大だ。周りの民家の屋根と比べても、やっぱりでかい。でかすぎる。もしかして幻か?と思ったがそうではないらしい。
俺はなんというものを目にしたのだろうと思った。冬の陽射しに神々しく照り映える白い十字架。俺はあれをもっと近くで見なくてはならないと思った。
それには今歩いている駅前の日陰の道を抜けて道路を渡りその先の鉄道の高架をくぐらなくてはならない。高架下のフェンスの内側には進入禁止の警告が記された錆だらけの看板が取り付けられ、中ほどに折り返しのある狭くて急な階段が敷地の片隅でひっそり息づいている。この階段はもちろん高架の上の線路の枕木の交換や架線の整備をする作業員のために設置されているのであるが、侵入者が警告や防護柵をものともせずに昇っていけば、やがて架線よりも雲よりも、空よりも高いところに行くための入り口へ辿り着くことが出来る。たぶん。だからここは厳重に閉ざされている。少なくともそう見えるように工夫されている。と言い張ってしまうほど、そこはしめやかでひそやかな禁断の空間だ。
そんな高架下の湿潤で甘美な空気を抜けた彼方に、あの白い十字があるのだ。なんという皮肉だ。手前にある天国への階段は罠なのだ。うっかり昇ったりしてはいけないのだ。
あれはいわゆる建築物の作りかけ、あるいは残骸なのだろうか。白い鉄骨か、柱の一部のように見える。そうか、きっと何かを作ろうとして途中で計画がおじゃんになったんだ。大船モノレールのようにそのまま放置されたんだ。そしてそれが偶然にして、人の心をとらえる白い十字架の体をなして今日、ドロドロした気持ちを抱えたまま付近をぶらついていた俺の目を射たのだ。なんという偶然だろう。素晴らしい。救いとはこういうものであるにちがいない。
と思って近づいていったらその白い十字は実は偶然の賜物でもなんでもなくて本当に普通にその辺りにある教会の目印だかシンボルとして建っている構造物であるということが分かり、俺の気持ちはその瞬間に好奇心と感動をまったく失って再び泥の中へと墜ちた。