せすにっき

日記。2019年1月にはてなダイアリーから引っ越しました。2024年もそこそこ適当に生きたい。

雷鳴よぱらてかえる

駅改札を出て階段を降りると雷が鳴っていた。見上げるとポツポツと大粒の雨。
これはいい口実だ、とばかりに雨宿りの名目でちょい呑み。夏はビールというけれど、あまりに暑過ぎるとぐいっとやったビールが喉にイガッと来るときがある。今日ぐらいの気候がちょうどいいように感じる。
全然関係ない話なのだが、有名人のおじいちゃんを持つ人たちについて。高校野球で活躍してた吼えるピッチャーの人のおじいちゃんが力道山。おお知らなかった。俺はプロレスというとブッチャーと猪木しか思い浮かばないので今度力道山の存在というものが当時の人々に及ぼした影響とかをファーザーにでも聞いてみよう。吼える人だったのだろうか。あとミュージシャンの人で竹下元首相の孫の人はこの前初めてテレビでちらっと見た。おもしろかった。俺は母方父方どちらの祖父母とも同居したことがなくしかもどちらのじい様も割と早く亡くなったので「うちのじいちゃんが」「ばあちゃんが」なんて思い出があんまりなくてさびしい。滅多に行かれない超田舎に住んでいたファーザーのファーザーは俺がものごころついてから会いに行ったときにはもうほとんど床につきっきりだったなあ。でもあの穏やかな寝顔は忘れられない。俺の親というのは俺が生まれたときから人の親であるからして、どうしても親を親としてしか見られないのであるが、彼らは俺から見たらじいちゃんばあちゃんである人の子供でもあるのだった。そして俺の親にもじいちゃんばあちゃんがいて、彼らの子供が俺のじいちゃんやばあちゃんなので、なんかこう、人ってのは一生の中でいろんな役目を得ることができる存在なのだなあと思う。何が言いたいのかよくわからなくなってきたけど。