- 作者: 堀田善衛
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 1996/06/01
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もの知らずな俺にとって、定家の生きた時代の社会の複雑な仕組み、代表的な人名、それになにより定家の文章(書き下してあるけれど)に馴れるのに一冊分の準備運動が必要だった、ということもある。しかしやっぱりなんといっても承久の乱というものを起こし、既に体を失っていた貴族の時代というものをその意に反して完全にぶっこわしてしまった後鳥羽院と、貴族の時代を「とむらう」ために百人一首を編んだとも評されている定家の確執についてかねがね知りたいと思っていた俺には、定家若かりし頃よりもむしろ後半生に描かれた日記が当初からの目当てであったということになろう。
承久の乱の起きる前年、定家が内裏歌会のために詠んだ二首は後鳥羽院の激しい怒りを買った。
さやかにもみるべき山はかすみつつわが身の外も春の夜の月
道のべの野原の柳したもえぬあはれ歎の煙くらべに
これで激怒する後鳥羽院が超ナゾです!さすがエキセントリックな後鳥羽院!てかんじなのだけども、二首目に出てくる「道のべに」「歎き・煙」というフレーズが新古今集に収められた菅原道真の二首の歌にも用いられている語なんだそーで、著者の解説をもって臨むとこの定家の二首は要するに、読もうと思えば「政治的に恵まれなかった菅原公のような身のわたしにはこのようなすばらしい眺めの春の月夜も関係のないことであるよ!」というようなかんじの意味に受け取れないこともない。定家が菅公左遷という宮廷政治の古傷に触れてしまったために院の怒りを買った、と九条道家の日記には明確に指摘されているそうな。
しかしもともと歌というものの多義性がこのような読みを可能にしたのだとしても、後鳥羽院のまさに逆切れと言わんばかりの怒りようはこれだけに根を持つものではないようだ。紹介する順序が逆になってしまったが、著者は例の二首目の「柳」をめぐっての定家と後鳥羽院の因縁を、後鳥羽院の心理を想像する過程に織り込んでいる。
定家と院と柳。話はシンプルかつ印象的である。これより7年も前に、後鳥羽院の命令で、草木好きの定家が自邸の庭に植えていた柳の木二本が掘り取られ、御所へと召されてしまった。これ以前から院に振り回されて苦労してきた定家は、この折にも憤懣やるかたなしといった感じでむちゃくちゃきっつい言葉を日記に書き込んでいる。
この柳の一件が、歌会の折に後鳥羽院の脳裏に蘇ってきたとしたならば、「煙くらべ」というフレーズに源氏物語作中歌をも想起させられた院が、痛いところを突かれてしまって
――あの野郎、この!
と著者が代弁?したような逆切れを起こすというのもなんとなくうなずける。でも、この不幸な事件は、立場も性格も違う二人が歌や物語などの宮廷文学をバックグラウンドとして共有していたからこそ起こる悲劇なんだよなあ。大外から見たら「わかる者どうしなんだから、仲良く喧嘩しなよー」なんじゃないだろうか。しかし、定家はこれで院から「勅勘」、つまり勘当されてしまって公の歌合などに出席できなくなってしまう。もとより王と仕えの者、喧嘩どころか一方的に定家がひどい目にあった、ということになるわけだ。そんでもってその勘当は解けぬまま、やがて後鳥羽院は鎌倉幕府を倒そうとしてあっけなく負け、隠岐へ流されてしまう。
この後の定家の院への感情なのだけども、どうも俺個人としては、後鳥羽院の鎮魂のために百人一首を編んだ、といえるほどには和らがなかったのじゃないかな、と思えてならない。隠岐は隠岐で定家の悪口を言いまくっていたらしいし*1、そのことが定家の耳にも入っていたそうだし。
俺の読んだなかで一番好きな百人一首の解説書
- 作者: 高橋睦郎
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2003/12/01
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高橋 王朝全体を柩に入れて、蓋をした。自分も中に入って、内側から蓋を閉じて、殉死したんですね。
このくだりは前にも引用したことがあって、そのときは俺はこの一文に全面的に同意していたのだけど、これにもちょっと違和感を覚えるようになってきた。歌人としての定家は確かにこの、緻密に配列された小さなアンソロジーという柩に納まって、一見「殉死」したかにもみえる。でも俺にはなんとなく、「王朝全体を柩に入れて、蓋をし」た後、その上にのっかって念入りに釘を打つ編者定家の姿が浮かんでくるような気がしてしまうのだ。時代は変わるのだ。これ以上ぶっこわされてはたまらんのだよ。苦労してここまでに確立したわたしの家を、もうおびやかさないでくれ。
いや、「殉死」でないのならば、もしかしたらこれこそを鎮魂というのかもしれないな。愛憎こもごも。