せすにっき

日記。2019年1月にはてなダイアリーから引っ越しました。2024年もそこそこ適当に生きたい。

読み終えた

保元物語 (岩波文庫)

保元物語 (岩波文庫)

いやややや、不覚にも涙ぐんでしもた。源氏も平氏もおなじ氏どうしで敵味方に分かれてたたかったその乱が終結したあとで、義朝の幼い弟たち、つまりすでに処刑された為義の子供たちが斬られてしまう場面ね。義朝の家来の秦野次郎っていう人が泣く泣くかれらを迎えに行って、そしたら4人の子供たちが秦野を見てすごく嬉しそうにしてるのね。ここでちょび泣き。かれらのお兄さんの義朝から本当のことは知らせずに斬れって言われてるから秦野は、敗北した新院の側についたお父さんの為義が出家してお兄さんの義朝のところへ行ったのだけど、人目を忍んで北山雲林院っていうところに移る由、子供たちのことが心配だろうから私が逢わせて申し上げようとお連れしに参りました、って説明するの。何も知らずに子供たちは

我先にと、輿にあらそひのられるこそ哀なれ。是を冥土の使ともしらずして、各こし共に向ひつゝ、「いそげやいそげ」とすゝみける。

もうここで涙腺決壊です。その後、4人の中で一番年上の乙若が真実を知ってのちの振る舞いも、兄弟の世話係として仕えてきた人たちの嘆きも、斬らざるを得なかった秦野次郎の心痛も、あわれという言葉ではなんだか失礼になってしまうと思えるくらい悲しかった。俺の頭に浮かんだのは「あわれ」じゃなくて「あっぱれ」なのだった。あっぱれってのは、もしかして元々はこういう風にあわれという言葉で表すにもためらわれるほどの悲劇的な状況をあらわす言葉だったんじゃないだろか、と思ってしまうのだった。調べたら元々は同じ感動詞の「あはれ」が現したい意味のベクトル(賞賛or哀傷)によって「あはれ」「あっぱれ」と分化していったそうなので、俺の思いつきは当たっているようにみえてちょっと違っているようだ。

でもさ、歴史小説とか読んでてあまりにも悲しい死に方をした人には、なにか天分を果たしたからこそのこの死だったんだ、あなたはよくやったんですよ、って言いたくなるよね。「天晴」って当て字はせつないけれどぴったりだ。誰が使い出したんだろう。
そうそう、北山雲林院ってようするに「あの世」の比喩なのかな、子供たちに説明するのに「お父さんはあの世にいるから」とか言えないからそういう架空の寺の名前をとっさに持ち出したのかな、と思ったら実在してました。能の舞台にもなっている有名なところなのね。知らんかった。うう。
ちなみにこの文庫に載せられているバージョンだと、物語は新院の怨霊についてではなくてスーパーマン為朝の最期のエピソードで幕を閉じているんだな。為朝が捕らえられたのは鎮圧からずいぶん日数が経ってからのことで、そのためもあり死罪は免れて大島へ流されたのだけどそこでもやんちゃぶりを発揮しまくっていたらしい。しかし海鳥を追って鬼が島へ漕ぎつけ、挙句の果てには人質とばかりに鬼を連れて帰ってくるという。為朝ヤバイ。マジヤバイ。で、再びの反乱を恐れたお上の命令で兵をさしむけられ、自害とあるのだけど、鬼うんぬんってのは脚色か通報自体を大げさにでっちあげられたからか、もしくは噂が雪だるま式に膨らんだ結果だよなあ。実際は海賊の根城を制圧したとか、日本の国情とはまったく関係なく暮らしてきた離島を見つけて支配下においたとかそういう感じだったのだろうか。もしくはそんな事実すらもなかったか。

大島では為朝は現代でも親しまれている。為朝の碑も建てられている。結婚で移り住んできた本土出身の男性を為朝の剛勇ぶりにあやかってもらおうと「ためともさん」と呼んでいる。

へええ。上記Wikipediaにある為朝伝説の数々もおもしろい。