せすにっき

日記。2019年1月にはてなダイアリーから引っ越しました。2024年もそこそこ適当に生きたい。

あまりにへんだったので夜中に書き留める

超へんな夢みた。
夕暮れの、闇が迫る時間にひとりでどこか山の中の別荘地のようなところに迷い込んだ。そこにはインターネットで楽しんでいる人たちの世界がリアルのように展開されていて、昔通っていた中学校の渡り廊下のようなところでプロジェクターから空中に映し出される映像がいくつか並んでいた。
ひとつを覗き込むとそこは「ぐねぐね」とよばれる動画集が流れる場所だった。見るとサザエさんのエンディングのようだが、中のアニメーションに動画の投稿者がさまざまなエフェクトを加えているようで、白い背景に青空が、まるでぷるぷる震えるようかんのようにくねりくねりと曲がりながら伸びてゆき、その青空の中をサザエさん一家のシルエットが漂うように歩いていくというもので、投稿者がVJのように自由自在に画面をくねらせ観衆をうならせ、興奮の渦を作り出しているのだ。
俺もこんな動画を作ってみたい、と思ったのだが、既製の映像をいじるよりも自分でなにか単純なメロディを作ってそこに淡々と踊る女の子を登場させたいと思った。そのうちどちらかというとまず作曲の方がやってみたいとひかれはじめ、あとで作曲のためのソフトをダウンロードしようと心に決める。もう頭の中では曲ができはじめていた。
そのうち日がすっかり暮れて動物園は閉園時間になった。そう、そこは山奥の別荘地のはずれにある動物園の中なのだった。みやげ屋には客が自分しかおらず、パック入りの寿司を買って頬張り、なんとなく先の展開が読めたと思いながらもぐもぐ咀嚼していた。俺はここで夜を明かすことになるんだろう。
老婆の営むみやげ屋にはやがてシャッターが下ろされ、脇に作られた半露天の休憩スペースの灯りも消された。老婆は残っている俺に気づかずに自分の家へと向かっていく。俺はその後をつけた。
老婆はライオンの飼育舎のさらに向こう、低いブロック塀に囲まれた住居へ入っていった。明かりがつき、動物園の運営者一家がそこでにぎやかに食卓を囲んでいるらしく団欒の声が聞こえてくる。味噌汁の匂いさえ漂ってきそうだった。
いつの間にか母親と並んで歩いていた。動物園では夜になると所々で生き物を放し飼いにするようだった。おとなしいライオンがいた。くちゃくちゃと口を動かす駱駝がいた。名前も知らない鳥が飛び交っていた。母親はこんなところをのんびり歩いている俺を咎めもせずに並んで歩いていた。
夜の動物園に忍び込ませたのは君だぜ、って曲があったなあ、あれはちょっとロマンチックな、でもありていに言うと詩的だけど若者らしい性的興奮をうたった曲だったなあ、と思い出す。俺はそういう光景を望んでいるのだろうか。とつらつら思っていると隣にはいつの間にか母親はおらず、ただ知らない女性が自分の手をひいて半歩先を歩いていた。
よく見ると、駱駝や猟犬(かれも展示動物なのだった)に混じってたくさんの人たちがいた。かれらも閉園後の居残り客であるはずなのにこうして見るとけものたちの一群に溶け込んでなんの違和感もない。さらに見ているとかれらが先ほど思い出した曲の中に出てくる男女の営みをこれからなぞっていこうかというような静かなせつない緊張を甘く陽炎のように立ち昇らせているのを感じ取ることもできた。おそらく彼らは月が昇るころに、傍らの異性と異種のものたちの見守る中でその行為にふけるのだろう。彼ら、と思ったがきっと自分もそのなかのひとりなのだ。
俺はその曲を口ずさもうとしたのだが、あたり一帯にはなぜかタッチのオープニングテーマが大音量で流れていて、雰囲気とたいへんミスマッチでぶち壊しになっていた。暗闇の中らんらんと、人とけものの光る眼がまじりあっていた。このままこの世界から出られなくなるのではないかと不安になったが、そうだ、俺は今夜の出来事を余すところなく書くためにここに来たんだった、と思い出したところで目が覚めてしまった。