せすにっき

日記。2019年1月にはてなダイアリーから引っ越しました。2022年も適当に生きたい。

くらんぼう

どっどっど。どっどっど。
暗い夜道を歌いながら近づいてくる気配があったら、あなたは気をつけなくてはいけない。くらんぼうがあなたの後を追いかけているしるしなのだ。
くらんぼう。蔵の坊とか、暗い坊とか、人々はいろんな文字を当ててその正体を見定めようとしてきたけれど、本物のくらんぼうが現れたらそんなこと考えてはいられない。くらんぼうは人にたずねごとをする。そしてあなたがそこでうまく答えられなかったら、あなたはたちまちくらんぼうに食われてしまうのだ。
ある噂によれば、くらんぼうが生まれたのは、戦争で男たちが消えたとある寒村の古い屋敷、その庭の片隅にひっそりと建つ蔵でのことだったそうだ。そこへまだ乳離れもせぬうちから母親ともろともに閉じ込められていた男の子がやがて表へ出てきた春の夕暮れ時、それがくらんぼうが世に出たときだったそうだ。
 
ある日、生まれてこのかた一度も外を見たことのない子が、蔵の中で母親に問うたそうだ。「お日様は、どこから出て、どこへ隠れるんえ?」
その蔵の窓はとても小さくとても高いところにあって、一度も外を歩いたことのないその子は、その村のお日様が夕刻には遥か遠くの、美しい駒問い山の向こうへ沈むのも、一度も見たことがなかった。今までも、そして死ぬまでもずっとその美しい眺めを目にすることなく過ごすさだめの子を母親は憐れんで、「お日様は、いつもお空にいてくれるんえ。この母(かか)のようにな、いつでもお前のそばにいるんえ。いつでもお空にいるでもなあ、しんどくなるとな、この母のように眠ってしまう。それで、眠ってしまうとお外がこんなに真っ暗になるんえ」こう答えたそうだ。
その母親がいつも、お日様が窓から差し込む頃に目を覚ますと、黴の匂いのする畳の上をどうどうどうと歩き回って、歩き回りながら泣き喚いて、わが子を抱きしめては泣き叫んで、わが子を逆さに抱えてまたどうどうと歩き回って、やがて疲れてすすり泣きのうちにわが子を放り出して、つかの間の眠りに落ちるのはたいてい夕方だった。逆さにされてゆざゆざと揺すられた子供が毎日目を回しながら、くずおれて寝息を立てる母親のもとで見上げる小さな窓は、あたたかい朱色に染まっていた。ぐわんぐわんと痛む頭を小さな両手で抱えながら、子供は、ああ、お日様が眠ってしまう、とつぶやいた。やがて朱色が消えれば、すやすやと寝息を立てる母様の乳房にしがみつき、ああ、すっかり眠ってもうたんえ、お日様こんなにまっくらじゃ、と微笑んだ。そして幸せな夢をみた。夢からさめて母親がまた泣き叫び、わが子を逆さに抱えてどうどうどう、どうどうどうと蔵の中を歩き回ると、子供はいつも大人しくゆざゆざ、ゆざゆざと揺られ運ばれていた。そんな暮らしがずっと続いていたから、子供にとっては、お日様を見て起きればすぐにどうどうという足音とともに腐りかけた畳の上をゆざゆざ揺られ、ぐわんぐわんという頭の痛みさえも楽しみとし、眠る母様にしがみついてまた夢をみる、それが子供にとっての日々の暮らし、それが生きるということなのだった。
母様は泣き叫んでいないときには、とても優しく、子供のどんな問いにも答えてやる賢い女だった。この蔵の周りには鬼がたくさんいるんえ、と子供に教えた。鬼てなんえ?と尋ねられると、おそろしいもの、人をとって食う生き物なんえ、と教えてやった。生き物てなんえ?いのちあるものがみんな生き物え。いのち?ほうら、ここへ跳ねてきたこのガンジマ、これもいのちがあるんえ。生き物え。母親はそう答えるとガンジマを指先で潰した。細い触角をしばらくぴくぴくさせていたがやがて動かなくなった。動かん。いのちがなくなったんえ。そうか。
母も坊も、人なんえ。人は生き物じゃ。ほいじゃ、いのちがあるんえ。そうじゃ。飯も食う。糞もひる。いのちがあるから。ははは、そうじゃ。
子供は首をひねった。この壁の向こう側には鬼しかおらんのえ?そうじゃ。みんな鬼になったんえ。ほうだら、鬼が飯をくれるんえ? そうじゃ。鬼は人をとって食うんじゃないんかえ? そうじゃ。小さな戸口に時折見えては消えるあれは鬼の手かえ? そうじゃ。飯をくれる鬼が、わしや母様を食うんえ? 食うんえ。だから、この壁の向こう側には、行ってはいかんのえ。
そんな問答を何度繰り返しただろうか。ある日、母親は急な病であっけなく死んだ。目を覚ました子供が母様、母様と呼んでも、揺さぶっても叩いても、ぴくりとも動かなかった。細く開いた扉の隙間から飯が差し出されても母様は動かなかった。お日様が何度か眠ったり起きたりしても、母様はずっと目覚めることがなかった。動かなくなったガンジマを思い出し、いのち、がなくなった、と子は思った。だがしかし、ちょうどそのとき高い小さな窓からやがてお日様が顔を見せたから、母様のいのちは鬼には食われんでの、きっとお日様にとって食われたんえ、と思った。それは、とてもとても幸せなことに思われた。
母親が死んだ、ということはほどなく鬼たちにも知れ渡ったようであった。数日のちのことだった。扉のきしむ音がして、戸口がぽっかり開かれた。退屈していた子供は何の気なく、明るいほうへと歩きだし、いつもの習慣となっているあの運動をねだった。
「鬼よう、鬼よう、ゆざゆざしてんえ」
入ってきた鬼は目をむいたまま凍ったように突っ立っていた。しまった。その顔を見るとたちまち子供は母様の言葉を思い出した。鬼め、わしを食うつもりだ。
鬼と呼びかけられた男はただただ驚いた。借金のかたに汚れ仕事を引き受けさせられたこの小心な男は、次の瞬間、非常な恐怖を覚えた。何年も土蔵に閉じ込められていた子供が自分を鬼と呼んだ、ただそれだけで男は、この、布ともいえない襤褸を体に巻きつけ、垢にまみれた幼児から、自分が不条理なむごたらしい報いを受けるに相違ないとさえ感じ始めていた。
「鬼よう、鬼よう、わしを食うんえ?」
男は後ずさった。子供はそのすすけた顔にいっぱいの懐こい笑みを浮かべ、なおも歩み寄ろうとした。
「鬼よう、わしを食わないなら、わしが鬼を食うえ?」
子供の影は背後の壁に大きく伸びて今にも襲い掛かりそうに両手を広げた。
臆病な男は鉈を放って逃げ出した。
 
子供は蔵の外へ出た。男に子供の始末を押し付け、屋敷には誰もおらず、広い庭はひっそりと静まり返っていた。夕闇が迫っていた。
あ、あ、もうすぐお日様が寝よる。
子供は見たかった。朱色に染まったお日様が、母様のように泣きはらした目を閉じる瞬間を。はじめて見る外の景色の何もかもが不思議に思えたが、何もかもが動かなかった。いのちがないのだと思った。だから自分を食うこともない。恐ろしいとは思わなかった。すべてが朱色ですべてが静かだった。いつも聞いていたカラスの声だけが、今までになく近かった。だがその姿も見当たらなかった。母様が恋しかった。せめて、母様のいのちを食ったお日様がその日の眠りにつくのを見とどけようと思った。
だが、たぎる夕日はみるみる駒問い山の向こうへと姿を隠していった。辺りはじんわりと闇におおわれてゆき、子供はいつかのように首をかしげた。
お日様は、わしが見てたら、眠らんで、隠れてしもうた。逃げてしもうた。
子供はお日様の眠るところを見ようと、一生懸命背伸びした。
お日様は、いつでもわしのそばにおるって、母様は言ったんえ。なのに、わしが見てたら、隠れてしもうた。わしがこうして近くへ出てきたら、嫌になってしんどくなって、眠る顔も見せずに隠れてしもうた。お日様はわしが嫌いなんえ。
子供は心細くなり、お日様が隠れてしまったところへ行きたいと思い、細い足を踏みしめ踏みしめ、駒問い山の方へと歩き出した。どっどっど、どっどっど。母様が腐りかけた畳の上を歩き回るときに立てた音をまね、いつしか、たどたどしく口ずさんでいたという。
どっどっど、どっどっど。
それきり、子供の姿を見た者はいない。
  
小さな村の出来事だった。いや、本当にあったことかどうかもわからない。なにしろこれも、くらんぼうをめぐる噂のひとつに過ぎない。そんな子供が人をとって食う本物の鬼になってしまうだなんて、流言好きな小学生ならともかく、大人が信じる話ではないだろう。それでもなお、今日のようにきれいな夕焼けのあとにくらんぼうが現れるなんていう話が時折ふと世間に流れるのだ。どういうわけかここ数年は都市伝説とごちゃまぜになっていて、夜中に小さな男児の声で突然電話がかかってきたり、放送終了後の砂嵐をずっと見ていると、ぼろをまとった裸足の子供が画面に映る、なんていう三流小説ばりの展開を見せているようなのだ。
こうして噂をひとつお教えしたけれど、あなたはどう思われたろうか。くだらない?そうだろう。やはりそう思うのが普通だろう。
もうひとつ聞いておこう。あなたは
わしを食うんえ?鬼よう。