せすにっき

日記。2019年1月にはてなダイアリーから引っ越しました。2024年もそこそこ適当に生きたい。

ボタンと糸

さいころ、もう覚えていない誰かからおもちゃの作り方をひとつ教わった。
少し大きめのボタンを用意する。穴のうち2箇所に糸を通し、その端と端を結んで輪にする。縦向きになったボタンが真ん中にくるように輪になった糸の両端を持ち、真ん中のボタンの重さを利用してくるくると回し、糸を十分にねじらせる。ねじれた糸を勢いよく引けば今度はねじれの戻る勢いでボタンがくるくると回る。はずみがついたところで引く手の力をゆるめてやれば糸は最初とは逆の向きにねじれる。また引く。くるくるとボタンが回る。またゆるめる。糸はねじれる。これを繰り返す間じゅう、ぶうん、ぶうんとかすかな音がする。力加減とタイミングを誤らなければいつまでもこれを続けていられる。ぶうん、ぶうん。ぶうん、ぶうん。
僕はこれをたいそう気に入って、学校にも持っていってぶうん、ぶうんと遊んだ。休み時間に僕を校庭へ誘うような友はそもそも僕にはおらず、僕は心ゆくまでその回転運動を楽しむことができた。僕の手によって奏でられる、唯一の心やすらぐ音だった。
先生は僕に何も言わなかった。成績も良く、言われることに逆らいもせず、手のかからない良い生徒でいれば先生も楽で良かったろう。僕も楽で良かった。僕は先生の手をわずらわせる同級生たちが理解できなかった。叱られてむくれている子を見ても、彼らがなぜわざわざ叱られるようなことをするのか理解できなかったのだった。
ぶうん、ぶうん。
僕は自分の手元を見た。そうか、彼らはくるくると回るボタンなのだ。そして、彼らは回っていることが楽しくてしかたがないのだ。引っ張られた糸によってくるくる、繰り返し繰り返し回ることを、望んでいる。いつまでもいつまでも同じことをしている。彼らはボタンなのだ。彼らの体を糸が貫き、その糸によってくるくると回転させられる、彼らはボタンなのだ。
女の子が教室の後ろの方で、何人かの同級生に囲まれて泣いている。ぶうん、ぶうんと同級生たちが彼女を罵る。女の子は身振り手振りを交えてかぼそい泣き声で反論する。僕はずっと自分の席で、引いてゆるめて糸とボタンを回している。くるくる、くるくる、ぶうん、ぶうん。今日僕が持ってきたお気に入りのボタンは彼女のセーターと同じ青色をしていた。くるくる、くるくるとボタンが回る。ぶうん、ぶうんと糸が鳴る。僕の両手の間で青いボタンがくるくると回り、青いセーターが視界の隅でせわしなく動く。人垣が僕の手の動きにしたがってぶうん、ぶうんと歌い、その中心にいるセーターが僕の目の前でくるくると回っている。そんな気がしてきて、僕は今までに覚えたことのない、なんともいえない愉快な心持ちになった。
くるくる、くるくる、ぶうん、ぶうん。
少したつと、ボタンを持ち歩くことはしなくなった。所詮は小さな子供のおもちゃであり、そのようなものをいつまでも持ち歩いていることは、小学生とはいえ手のかからない良い子にはふさわしくないと僕は知っていたからだ。それにわざわざ持ってこなくても、ボタンも糸も周囲にはふんだんにあると気づいてもいた。僕は毎日、僕の身の周りでたくさんのそれらがくるくる回り、ねじれて巻き戻っては音を立てる光景を見つめていた。職員室で説教される劣等生、ちょっとしたことで言い合いになる女子たち、どこかへ呼び出されていく気弱そうな転入生。みんなみんな、ぶうん、ぶうんという糸に、くるくる、くるくる回っていた。僕はそれをこっそり見ながら、あたかも自分の手の中で、自分の手の引く力、ゆるめる力とともに糸がぶうん、ぶうんと鳴り、彼らがくるくると回っているかのような気持ちを味わっていたのだった。
くるくる、くるくる、ぶうん、ぶうん、ぶうん。
家に帰るのは少しだけ苦痛だった。しかし僕には他に帰るところもないのでしかたがなかった。しかたがないというと何かを悟っているかのような言い草であるが、そのような観念さえないのだった。僕はその家に生まれたのであるから、そこへ帰り、そこに居て起きる出来事を受け止めるのは至極当然であり、それはねじれた糸に貫かれているボタンが引かれた糸とともにくるくると回りだすのと同じく世の法則に逆らうことのないものと知っていた。そう、悟る以前の問題だ。言うまでもなく、僕もひとつのボタンなのだった。
だが、僕は自覚のあるボタンだった。僕は決めていた。自分の意志で回るのだと。あの日教室の後ろで泣いていた青いセーターの女の子の姿がしばしば脳裏に浮かんだ。彼女もボタンであり、周りの人垣が糸だった。くるくる、くるくる、ぶうん、ぶうん。あの時彼女は罵声を浴びせられながら、人垣の間を縫って僕を一瞬だけ見つめた。とても物悲しげな、しかし同時に物欲しげにも見える目つきだった。僕はそれにとても腹が立った。ほら、糸が鳴っているじゃないか。ぶうん、ぶうん。お前はボタンなんだ。回れ、こっちなんか見ないで回れ、くるくる回れ。助けを求めるなんてこと、できるわけがない。糸に貫かれたボタンはくるくる、くるくると回ることしかできるわけがない。回れ。もっともっと、ずっとずっとくるくる、くるくる回れ。
ほら、僕だってこうやって回っている。でも僕はお前とは違うんだ。くるくる、くるくる。僕は回っている。これは自分の意志だ。必然という名の尊い使命を負った自覚のある僕が、自分からすすんで回っているのだ。くるくる、くるくる。だから、ぶうん、ぶうん、という糸の喘ぎは僕が起こしているものであって、僕は自分の力によって糸をよじらせ、くるくる回っているのだ。暗闇の中でボタンの僕は手足をふわりふわりと、宙に浮かせてばたばたと踊っている。これはボタンの意志だ。目の前に浮かぶ青い顔が誰のものなのか?そんなことはどうだっていい。僕は自分の意志で、この白い布の上で回っている。くるくる、くるくる。自分を貫く何かによっていやいや回転させられている?そんなことはない。痛みはどこから来るのか?それもどうでもいいことだ。ただ衝撃を受けた皮膚が極めて科学的に反応しているだけであり、それは僕のくるくるとは全く関係がない。
いつしか僕はそうしている間じゅう、ひっそりと笑うようになっていた。僕はくるくる回っている。自分の意志でそうしている。愉快だ。極めて愉快だ。僕もまたなんらかの糸によって体を貫かれているのかもしれないが、僕は自分からくるくる、くるくる、糸をねじれさせ、ぶうん、ぶうんと鳴らして笑っているのだ。笑えるのだ。泣いていただけのあの子とは違う。
ある夜僕はまたふと目覚めて、いつものように自分がくるくると回っていることに気がついた。そしてあまりにも愉快で、僕は笑い声をもらした。その声は静かな暗闇で、ぶうん、ぶうんという糸の音をかき消すほどに激しく空を切った。ほら、僕はやっぱり、糸をも操る、この世に類の無いボタンなのだ。それがこのうえなく楽しくて、僕はもっともっと大きな声を立てて笑った。あとからあとからこみ上げてきて、止まらない笑いだった。
暗闇の中でぷつんと、糸の切れた音がしたような気がした。
切れた糸は一瞬、今までとは違った鋭い音を立てたかと思うと瞬く間に僕の首に絡みつき、僕の呼吸を妨げていったのだが、僕はなおも笑いをとどめることがなかった。糸は細くて白い病んだ手指に姿を変え、なおもよじれて情けなく、しゅうしゅうとすすり泣くような声を上げながらその力を強めていったが、僕はなおも笑い、いっそう激しくくるくる、くるくると手足を動かし続けていた。やがて声が出なくなり手も足も動かなくなったが、それは極めて科学的な反応でしかない。僕の顔はずっとずっと笑ったままだった。
くるくる、くるくる、くるくる、くるくる。
僕は糸が切れても永遠に回り続けることのできる、世界でただひとつのボタンになれたのだと思った。