せすにっき

日記。2019年1月にはてなダイアリーから引っ越しました。2024年もそこそこ適当に生きたい。

書くかもと言っておいて書くの忘れてタイミング外した

万葉の人びと (1978年)

万葉の人びと (1978年)

ちょっと前に読んだ本。ここに紹介されている歌のうち、「犬養節」の解説ともども印象に残った歌二首。天武天皇とその妻藤原夫人のやりとり。

わが里に 大雪降れり 大原の
りにし里に 落らまくは後のち

わが岡の 龗おかみに言ひて落らしめし
雪の摧くだけし 其処そこに散りけむ

以前にこの歌のやりとりをどこかで読んだときにはあんまり親しみがわかなかった。あー、しゃれたやりとりですね、ぐらいにしか思わなかったのだけれども、この本では雪というものがあの土地で、あるいはあの時代にどんなふうに受け止められていたのだろう、というようなことをしっかりと読者に想像させてくれる解説がなされている。季節の花や鳥の鳴く声、大風、長雨、そういった自然のいろいろが詠み人にとってどのように感じられたものなのかに思いをはせる、そのことがとても大事なのだなあとしみじみ思った。

ところで飛鳥辺りは、雪が珍しくてめったに降りません。だからちょっぴり降っても、もう嬉しいわけです。飛鳥の雪の歌というのはみんなそうなんですね。

大雪、といってもドッカリ積もったわけではなく、珍しい雪が降ったものだからとても嬉しくて、妻が帰っている「古りにし里」に雪が「降る」をかけて、飛鳥には大雪が降ったんだぞ、お前のいる古い大原の里じゃ降るのもまだあとのことだろうよ、とからかってみた歌、なんだそうだ。「うおー雪降ってる!積もっとるー!」とはしゃいだ気分が出ているってことか。そこでダジャレじゃなくて歌、なのがすげえな万葉びと、ってかんじだ。*1
でさらに、そのはしゃいだ歌に藤原夫人が「そもそも私が大原の神に言って降らせた雪なんだから、今そちらに降ってるのはかけらがちょっととんでるだけでしょ」と歌で返す。いやうまく雰囲気が出ないな。犬養先生のステキな現代口語訳を引用しよう。

“あなた何いってんの、大雪だなんて。その雪はね、この大原の里の神様にいいつけて降らさせたのよ。その降らさせた雪のとばっちりがそこに散らばったんでしょうよ。何いってんの”というのです。

ちなみにこの二首、俺はてっきり同じ建物でお互い相手を目の前にして歌で会話してるのかと思ってしまっていたが、違うのか。離れたところにいる相手に贈ったからこそ、ログが残ってるってことなのかなあ。

*1:いや、万葉な時代にもこういう歌の技巧みたいなものとは別に、地口で言い合うシャレ・ダジャレはあったのか?残念ながら歌みたいに記録に残らなかっただけで。もしかしたら掛詞が上手でかっこいい歌を詠む人が日常生活では、気のきいたシャレで相手を笑わせるならまだしもオヤジギャグを連発して周囲に呆れられていた、とかそういうケースはあったんだろうか。ダジャレの起源ってどのあたりなんだろう。