せすにっき

日記。2019年1月にはてなダイアリーから引っ越しました。2024年もそこそこ適当に生きたい。

読み終えた

大江戸生活体験事情

大江戸生活体験事情

うーむむ、読み通してみたら当初の予想と違うまんまで終わってしまったなあ、という感じだった。もっと体験記っぽく展開すると思ったら、雑誌のコラムみたいに各章、照明、文字、筆記具、衣料などなどについて江戸の人がどう扱っていたのかを解説し、当時の絵を載せている。でもって手間がかかって不便で遅れた暮らしだったろうか?いやそうではない、これが普通だったんだから不便とは思わなかったはず、とかエネルギーの消費は少なくて済んだ、とかいうかんじで締める。そりゃそうなんだけど、この便利な世の中、なくても困らない物事はたくさんあって、消費しなくてもいいエネルギーを消費することによって現代の生活は成り立ってる。でもそのなくても困らない物事や使わないですむエネルギーの生産や消費に関わることでメシを食って生きていけてるという人間がたくさんいて、それが現代なんだよ。とか思った。
俺はどっちかというとそういう「無駄にエネルギーを消費せずに手間と経験の積み重ねによる知識の継承によって暮らしていた」という暮らしがどういう風なものかというのを、それを現代人がやってみたらどうなるかという生活感をもっと知りたかったんだよう。火打石、照明のくだりは割と詳細でよかったけども。
あれ、もう終わり?と思いながら終章を読んでいたら、

私たちは、きわめてあわただしい現代生活を送っているため、残念ながらたっぷり時間をかけなければならない試みはできなかった。

とか書いてあってなんか脱力した。

また、江戸時代の低エネルギー生活、山に薪を採りに行き、その薪に火をつけて毎日二、三回は飯を炊き湯を沸かし、(引用者略)砧で叩いて着物を仕立てながら子供を育て、老人の面倒をみるような生活を本当に理解するためには、一時的な試みではなく、一生の間、毎日そうやって生きなくてはなるまい。

そりゃあそうだろうけどもー、本の冒頭に書いてあった不定時法の時計で暮らしてみたときの体験だけでももう少し詳しく書いてくれないものだろうか。解説に重きを置いているところは俺のような知識の足りない者には勉強になってありがたいのだが、昔の人の生活活動が日の出日没の時間に寄り添う柔軟なものだった、ということ以上に伝わってくるものがあんまりなかったのが残念だった。でもこの文章は別に江戸時代の生活に興味のある人向けにと書かれたわけではなく、そもそも「原子力文化」というJAEROの月刊誌で連載されていたわけだから、エネルギーという言葉に内容が集約されていってしまうのはしょうがないのかな。ここで電気がなくても暮らせるから使うのやめちまおうぜとか書いたら神を超える。JAERO的には「江戸の暮らしに学び、エネルギーは大切に使いましょう」みたいなかんじなんだろか。
でも確かに「生活体験」なんていっても、実際に日常の暮らしを体験するには電気もガスも通ってない、道は未舗装の江戸の町の一部をまるごと、映画のセットみたいに再現しないと駄目なのかもなあ。当時を知るには、自分でやってみるのでなければ*1、当時の武士の人の日記とか書物を読むのが一番近道なのかも。

*1:そそ、これをやろうとしないで人の本に期待する俺のものぐささが一番いかんのであるよ、たぶん