今日はひたすらコタツでだらだら本を読んでいたんだが、トイメンに座ってウォークマンのイヤホンから流れる由紀さおりと安田祥子の歌にあわせ「みぃ〜かん〜のはあながあ〜〜〜さあいてえいる〜〜」と地声より1オクターブ高くしかも悲惨といっていいくらい音程のはずれまくった歌声を響かせるマイマザーのせいで読書に集中できずに困った。俺もヘッドホンとかで音楽聴きながら大声で歌ったりするけど、そばに人がいるとわかってるときにはようやらん。
読んでいたのはこれ
- 作者: 森茉莉,早川暢子
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2000/09
- メディア: 文庫
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父鷗外の思い出話も面白いけど、この人の話のなかで自分が一番心ひかれ、かつ共感できるのはやっぱり食の話題だ。自分の知らないカタカナ語とかフランス文学みたいな単語が少女のような無邪気な筆致に織り込まれて出てくるとなんか不思議で面白くて「やっぱこのひとは素敵なお嬢さんなんだなあ」と感心してしまうのだが、彼女の魅力がただそれだけだったら「俺には縁のない世界なのだなあ」で終わってしまったろう。この人の、食べ物に対する態度ってのが、なぜか俺にも激しく共感できてしまう。そんな語録からひとつ紹介。
掃除や洗濯は有がたくないが、料理をこしらえるのは楽しい。とにかく、フライパンを熱して黄色のバタァを溶かす、すると私はもう楽しくなっている。バタァが溶けるや間髪を入れず卵を割って落とす。二三度掻きまわし、ふんわりとまとめ、表面を一寸焦がして皿にうつす。全く楽しい作業である。それからそれをたべるのが又楽しいのであるから、料理というのは大したものである。
っていうか料理に限らずやっぱ食ってのは人生で一番大事だ。食はその人そのものだ。