せすにっき

日記。2019年1月にはてなダイアリーから引っ越しました。2024年もそこそこ適当に生きたい。

読み終えた

天皇と日本の起源 (講談社現代新書)

天皇と日本の起源 (講談社現代新書)

テーマからいって当然といえば当然なのだが、内容がかなりかぶっていた……。新書の方は蘇我本宗家滅亡後、孝徳、斉明、天智、天武、持統の代まで追い、「天皇」と「日本」という呼び名が、飛鳥の地を母胎とし、あるいはのちにそこを離れることによって生まれていった様子を論じていく。ハードカバーの方は、これまたタイトル通り、稲目、馬子、蝦夷、入鹿の四代の足跡をたどっていくもので、各章のページ数はざっと見たところで多い順に馬子、稲目、入鹿、蝦夷となっている。馬子と推古の交流や甥である山背大兄王への蝦夷の思いについては、特に筆者の思い入れが感じられる文章だと個人的には思った。そういえば飛鳥・石舞台古墳の石室内部を覗いたとき、あの歌が脳内に流れてきた。「私のお墓の前で泣かないでください」ってやつ。「そこに私はいません」うん、確かにからっぽだった。馬子のなきがらはもう遠い昔に風になってしまったのだろうか。そのこたえは風の中さ、風が知ってるだけさ。
っていうか飛鳥では鬼の雪隠・鬼の俎(まないた)っていう遺跡も見たんだけど、あれって小高い丘の上にあった古墳の盛り土がなくなって、むき出しになった石室の上部がドガガッと下に転がり落ちたのが雪隠、丘に取り残された底板が俎と呼ばれるようになったらしい。お墓の主には気の毒なんだけど、その巨大さゆえか後世には鬼の使うものに例えられたこと、しかも墓という聖地の建造物が、俎と雪隠、という俗世の暮らしを象徴する卑近なものに例えられてしまったところがとても面白い。ある意味皮肉というか、世の無常というか。
話がすごくずれた。で、二冊の本を読んでいて、前に読んだ著書とちょっと違う見解があったりしたのに気がついた。新書のあとがきで筆者はこう書いている。

(引用者略)なお、飛鳥を切り口に古代王権や国家の歴史を再検討した結果、私が旧著で述べたのとは異なる見解に達した例が少なくない。旧著を読んでくださった方には大変申し訳ないが、今後、私の意見を検討される場合には、本書の所見を取り上げていただければ幸いである。

ぬぬう、たとえば上宮王家襲撃事件あたりの記述について確かめてみると、10年くらい前にやはり新書の形で世に出された「大化改新―六四五年六月の宮廷革命 (中公新書)」と比べ、藤氏家伝や聖徳太子伝暦の取り扱い方、そこから導かれる事件の首謀者についての見解が確かに違っている。この本を読んで「ほほーう!」と興味を深めていった自分としては困るような嬉しいような。やべえ、俺これから結構昔のシュッパンブツばかり読もうとしてるんだけど、その内容が頭に入ったところで既に現在では覆っていたりってことがあるんだろうなあ、と思った。でもやっぱり昔の通説というのも知っておいたほうがいいんだろうし。ちょっとくじけそう。
っていうかまた話が読んだ本からずれていくんだけど、日本書紀の「鼠は穴に伏れて生き、穴を失ひて死す」というフレーズは結局のところ実際に古人王子の口から出た言葉なんだろか?俺はかなり疑わしいと思うんだけども、根拠がなくてなんとなくそう思うだけでうまく説明できんとです。っていうかこのフレーズを含む襲撃事件での山背逃亡後のくだり自体が不自然でやっぱり気になる。岩波文庫日本書紀の注を見たら俺の思っているのと逆で「鼠=入鹿」だと説明されているし。あああーーー、前にも書いた鼠問題がやっぱり気になってきたよおおああああ!!!というところで自分の日記の該当箇所をメモしておいて、話がズレたままで感想文終わり。