- 作者: 神野志隆光
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1999/01/20
- メディア: 新書
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章の順序が、最初に本居宣長の「古事記伝」の紹介からはじまり近世→中世→古代とさかのぼるという構成で、最後には近代についても少し触れていて面白かったのだが、できれば全て時系列に順序だてて読みたかった俺は面食らった。かといってこの本の場合、章の順番を入れ替えて読んでいっても俺の頭では理解は深まりにくそうだ。うーむ無念。とりあえず、編纂当時には国のありかたを「世界」として意味づけようと作られた物語のひとつが日本書紀とすると、それを別の物語である古事記と合わせて一元化する動きや、抜粋、再構成を行い誰かの立場や利益の正当性を主張するために利用する動きなどもあった。平安時代には日本書紀の「講書」なるものが行われたそうだ。博士と呼ばれる講師が行う、テクストの読み解き講義みたいなもんらしい。今だと、研究会とでも呼べばしっくりくるのかなあ。
律令国家という体制の意味が揺らぎ始めると、今度は仏教的世界観とのすり合わせが行われていった。QEDシリーズを読んでいて出てきた「本地垂迹」という思想はこの頃の産物なのだな。そしてそれを批判したのが本居宣長であった、という流れ。ともかく流れが変わるたびに記紀は新しく読み直され、その意味を「更新」していくのだ。そのたびに新しい物語が作られているともいうべきか。
著者が今も続くそうした「日本神話」の絶え間ない創造に対して粘り強く疑問を唱えている立場だというのはなんとなくわかった。俺的には、そうした「読み直し」「意味の更新」といった営みは、文字あるいは言葉というものを手に入れた人間のいわばサガみたいなものなので、それが正しいとか間違っているとかじゃ判断できないなあ、と理解しきれないながらもなんとなく思うのだけれども。書くことだけではなく、読むこともまた、人間の歴史にとって欠かすことのできない活動なんだろうな。