せすにっき

日記。2019年1月にはてなダイアリーから引っ越しました。2024年もそこそこ適当に生きたい。

あとどうしても気になるんですが

乙巳の変に先立って、聖徳太子の息子である山背王が一族滅亡に追い込まれた事件。生駒山へ逃げ込んだ山背王を追おうとした蘇我入鹿をたしなめて古人皇子が言ったとされている「鼠は穴に伏して生き、穴を失って死ぬ」という言葉がある。鼠とは入鹿を指すとし、古人は入鹿に対し穴(本拠)を離れて深追いしては命取りになるからやめとけ、と説得したのだという説明があった。

(略)そこで入鹿自ら行こうとするが、そこへ古人大兄皇子が息せき切ってかけつけていう、「どこへ行く」と。入鹿がその理由を話すと、それに対する古人皇子の答えが意味深長である。「鼠は穴に伏れて生き、穴を失ひて死ぬと」。その意味は、入鹿を鼠にたとえて、入鹿が本拠をはなれたら危ういという意味をふくめたとされる。このたとえを聞いて入鹿は自ら行くことを止める。

梅原猛「隠された十字架」には上のようにあり、その先のくだりで氏はこの一節をもって、上宮襲撃事件において入鹿は単独犯はおろか主犯でさえなく、むしろ「穴に隠れて生きる」といった心細い比喩をされる程度の存在だったという自説を補強している。入鹿チョーわるもの説を信じて疑ったことのなかった俺はただただびっくりしながらホホーとうなずくしかなかったのだが、上記引用部で梅原氏がさらっと「入鹿が本拠をはなれたら危ういという意味をふくめた『とされる。』」なんて書かれているのでこのくだりはそれこそ「鼠=入鹿」という喩えであるというのがジョーシキでありツウセツなのであろうな。今日読んだ本ではちょっと違う解釈だがやっぱり「鼠=入鹿」という説明だった。
だがしかしどうしてもどうしても、俺はこれに納得できないんでありますよ。うわーん。殺そうとしていた相手が山へ逃げ込んだ、そんでもって共犯者がそれを追って行こうとした、そのとき古人さんは言いました。「鼠は穴を出たら生きられないんだぜ?」
これって、この場合の鼠って、宮を後にして山の中に逃げた山背王のことを指すんじゃないの?っていうか俺が古人だったらそのつもりで言うんだけどなあ。本拠地を追われた山背王には東国へ逃げのびて兵を起こしリベンジする道もあったし、実際臣下がそれを進言した。なのに山背王はそれを受け入れずに斑鳩寺に戻りそこで自害してしまう。古人皇子は山背の性格・立場を知っていて、宮を追われれば反撃することもなく滅亡の道を選ぶだろうと考えていたから、「鼠は穴を失って死ぬ」と言ったのではないのかなあ……。と考えてしまうのであります。あー、でもまあそうすると梅原氏の解説のように古人皇子が「息せき切ってかけつけて」まで入鹿を止める必要があるのかってとこに疑問が生じてきちゃうんだなあ。うーむむむむむむむむむ謎!謎謎謎謎!っていうかたぶんここの違和感はひとえに自分の思い込みが原因なのだと思うのでやっぱもうだめだ日本書紀の原本か訳文をまじめに読むしかない。ちなみに日本書紀、現代語訳を買ったけど抄本だったので超はしょられまくりでそのあたりが全然載ってなかった鬱出汁農。