せすにっき

日記。2019年1月にはてなダイアリーから引っ越しました。2024年もそこそこ適当に生きたい。

読み終えた

QED〈龍馬暗殺〉 (講談社文庫)

QED〈龍馬暗殺〉 (講談社文庫)

うー、順番に読んできたシリーズ中、読み終えるまでに一番時間がかかった。というより、途中で何度も挫折しそうになった。
理由は作品の出来不出来とはまったく関係ない。いや、今回の謎解き(現実の殺人事件のほうね)はなかなかに雰囲気があってよかった。読み進めるのに時間がかかったのはただ単に、俺が幕末の歴史に興味を持てないからだ。明治維新関連の有名な小説なども読んだことがない。いや、小山ゆうの「おーい!龍馬」は読んだことあるですよ。マンガだけど。武田鉄矢が原作だったっけか。龍馬が死ぬとこはとてもよく覚えてる。というか、刀がざっくり横向きに龍馬の額へ切り込んだとこが、アップで描かれたそのひとコマだけ異常によく覚えてる。
話がずれるけど、それまではなぜか俺、日本刀で人の頭を斬る、っていう発想がなかった。チャンバラとか見ててもだいたい体を斜めにズバッ!とか斬られて、「ううおおおお」とか言って倒れるじゃん。あれはやわらかいボディを切るものだ、時々は首をはねたりもする、だが頭を切るもんじゃないと、何故か思い込んでいた。見たことがなかったからだ。
だから龍馬が頭を切られたとき、脳をやられた、というのが非常にカルチャーショックだった。あとやっぱそのマンガの中で龍馬は主人公なだけあってすげーいい奴だったので、そんないい奴が衝撃的な殺され方をしたのでマジびっくりした。維新の頃の人というのは非常に非情だったのだ、というイメージを持った。もっと昔の武士も、ガンガン頭蓋骨斬ってたかもしれんのに。
で、話をもとに戻すと、今回苦しんだ俺が「おおお!」とうならされたのは、ラストもラスト、「明治維新は関が原の復讐戦」ということばを再確認するくだりだった。歴史の糸ってのは、長いときが経ってもこういうふうに、節目節目にその姿を現すもんなのかなあ、そうしてまた新たに紡がれていくのかなあ、そしてそれは、俺にはどこかいにしえの頃とはすっかり変質し、断絶してしまったかのように思える現代へも、どこかでつながっているのかなあ、と思った。流れの中でふと浮かび上がってきた糸がするすると動き出して、そこに引っかかった幣札を高く空にかかげるのかもしれない。とすると、それは糸ではなく、もっともっとしっかりとした、一本の縄であるのかもしれない。