せすにっき

日記。2019年1月にはてなダイアリーから引っ越しました。2024年もそこそこ適当に生きたい。

北風と太陽

昔むかしあるところで、北風と太陽が、眼下を歩く旅人の上着をどちらが脱がせるかという勝負をすることになりました。
北風は、おれの力をもってすれば、そんな小さな布きれなどかんたんに吹きはがせるさと、足早に歩く旅人に向かってびゅうびゅうと吹き付けました。
ところが旅人はますますしっかりと上着の前をかきあわせ、寒さに震えながらも歩みをやめませんでした。北風がいくら顔を真っ赤にしてがんばってみても、上着は脱げません。
「そんなことではだめだよ、北風くん」代わって太陽がさんさんと輝きました。周りはみるみるあたたかくなり、春と勘違いした小鳥たちが、うれしそうにさえずりながら飛び交います。太陽はさらにぎらぎらと照りつけ、芽吹いて花開いた木々はみるみる緑を濃くしてゆきます。
ところが旅人は汗だくになっても上着を脱がず、汚れたそでで顔の汗をぬぐい、さらに歩みを速めました。太陽は辛抱強く体を燃やし続けていましたが、やがて疲れてぷすりとひとつ、黒いすすを吐くと黙り込んでしまいました。
「今日のところは引き分けとしようじゃないか、北風くん」「まあいいだろう、太陽くん」そういって二人はそれぞれの家に帰っていきました。
夕闇が音も立てずに濃くなってゆくころ、旅人は泉の脇にある小屋にたどりつきました。
小さな窓を軽く叩くと、中から若い娘が顔を出しました。
「まあ!会いに来てくれたのね!」
娘はたいそう驚いた様子でした。
「戦争が終わったのね?ねえ、あがって、夕飯を食べていって」
旅人は弱弱しく微笑むと、首を横に振ってそっと娘の家を離れました。
そうして旅人は小屋を後にして、近くの森の中で倒れると、そのまま息を引き取りました。
まっくらな森のてっぺんからひと筋、ふた筋差し込む月の光のもと、はだけた上着の下で、骨も臓腑も見えるほどに大きな穴が開いた真っ赤な胸が、そっと動かなくなりました。
次の日、北風よりもきびしい風と、太陽よりも熱い光が、あたりの村々をすべて焼き尽くしてしまい、北風と太陽はもう二度と、旅人の上着を脱がせる勝負をすることはありませんでした。