せすにっき

日記。2019年1月にはてなダイアリーから引っ越しました。2024年もそこそこ適当に生きたい。

晩飯

  • 白菜と豚肉の重ね蒸し
  • 水菜とベーコンのにんにく炒め
  • 軟骨唐揚(ゆうべの残り)
  • 一番搾り

主なおかずは重ね蒸しと水菜炒めなのだが、はっきりいって両者のキャラがかぶっている。葉ものを豚肉と一緒にして火を通すところが。どうしてこういう献立をつくってしまうのか。
全然関係ない話なのだが、私の実家は昔、かなり貧しかった。今も決して裕福ではないけれど、自分を含め金のかかるガキが皆成長して自立したので昔ほどではない。
うちの母親は、子供を3人抱えて家計が大変なので、びっくりするほど安月給の夫が毎日定時できっちり帰ってくるのを横目で見て舌打ちしながら内職と家事に励んでいた。
父親はどうやら会社勤めというものがあんまり好きではないようだった。会社が、というよりも、人付き合い、世間でやっていくための最低限の付き合いや礼節というものさえ苦手としていた。女房が稼いだ金を持って飲みに出かけていったりするような外道ではなかったが、その代わり不器用すぎた。対人スキルが必要なあらゆる場でその不器用さを露呈した。いつも人と言い争いなど決してしない、いや必要なときにもできない人間なのに、ここ一番での我慢が足りずに地主と喧嘩をしたり、多感な年頃の子供が家に呼んできた友達を、うるさいからと平気で怒鳴りつけたりした。
(ここまで書いたらちょっとシャレにならない精神状態になってきたので中略)
そして母親は、昔私にかわいいブラウスやひらひらのついたスカートを買ってやれなかったことについて未だに罪悪感を覚えているのか、たとえば二人でブティックをひやかしているときに、私が「あ、あれかわいいね」なんて、何の気なく指差したものを、後日「買っておいたわよ」と嬉しそうに箪笥から出してくるのである。いや、ただ単純に可愛いと思っただけで、自分が着たいと思って言ったわけじゃないんだが。
それだけではない。「これ買ったんだ〜、いいでしょ?」と、お気に入りの上着などを私が見せびらかした後、しばらくたって再び実家に帰ってみると、「買っておいたわよ」と嬉しそうに箪笥から出してくるのである。私が既に持っているその上着とほとんど同じデザイン、色、素材のアイテムを。かぶってるっつうに。なぜ同じのをまた買うのだ。
ちなみに父親の対人スキルの低さは私に遺伝しました。