せすにっき

日記。2019年1月にはてなダイアリーから引っ越しました。2024年もそこそこ適当に生きたい。

読んだ

歩兵の本領 (講談社文庫)

歩兵の本領 (講談社文庫)

福井晴敏の「亡国のイージス」、「終戦のローレライ」、さらに「TwelveY.O.」ときて、日本のへいたいさんつながりで浅田次郎「歩兵の本領」。書店に「Twelve...」を買いに行ったとき、たまたま同じ講談社文庫の棚に「兵」の字の入ったタイトルがあるのに気づいたから、というのが読んでみた理由だった。あー、ほんとはガッツ入った娯楽小説が読みたかったんだけど、でも、こういうのもいいな、と思う。ほろ苦く、せつなく、やさしい。
この短編集の共通の舞台は、高度経済成長やら学生運動やらでごったがえす時代、沸き返る日本の裏側に脈々と戦時中からの血を受け継いでいる、自衛隊の駐屯地だ。もう何十年も前の話、なんて書くと自分とまったく縁のない話のように思えるし、実際まったくこれからも縁のない場所でありつづけるのではないかと思う。(彼らが自分にとって身近な存在になるときというのは、すでに自分自身が、あるいは自分の周囲の環境自体が今とは大きく変わってしまっているときなんではないかと思う)
そういえば、うちの父親は昔自衛隊に入っていたそうだ。由緒正しく口下手の血筋を引いている親父は、自分の昔の職業のことなんてほとんどしゃべったことはないが、この本を読んでいると、今ではしょっちゅうギックリ腰になるこの親父に、よくこんな過酷な仕事がつとまったもんだ、と信じられない思いでいっぱいになる。
年齢から考えると、時代的にはこの物語たちよりちょっとだけ前くらいに、親父は自衛隊にいたことになる。環境としては本に書かれていた当時の状況とそう変わらないのではないかと思う。
そう、9割の兵士が命を落としたと言われる激戦地のニューギニア終戦を迎えた強者とか、死に行く友を見送った後自らの命を捧げるその寸前で大義を失ってしまった予科練出身者だとか、リアルで戦争に参加した人がまだたくさん残っていた、「自衛隊」という不思議な呼称をもつ軍隊に、うちの父親は所属していたのだ。マジ?ほんとに?しかもこんな、タテヨコの人間のつながりが緊密な場に!信じられない。
娑婆では常にとんでもない人間嫌いを発揮して超偏屈な人生を送ってきたけれども、親父はもしかして、自衛隊ではものすごく輝いていたのかもしれない。で、輝きすぎて娑婆に戻る頃には燃え尽きちゃっていたのかもしれない。親父も越年歩哨に出されたことがあるか?親父は脱柵したくなったことがあるのか?半長靴ってのはどのくらい重いものなのか?いつか、そんなことを聞いてみたい。
しかしそんな親父が自分の隊員時代について語った唯一のことばといえば、「自衛隊で食ったカレーはかなりうまかった」。あんたはキレンジャーか。